親父が死んだ⑩

転院した次の日、病院から私に連絡が入った。

急性増悪であった。

昨日とは全く違う親父の姿。

苦しそうに肩で息をしていた。

何とか酸素10㍑て落ち着き、その日は過ぎた。

改めて担当医から話があり、いつ亡くなったとしてもおかしくはない状態だったが、今は何とか持ち直しています。

正直すごいですと担当医が言っていた。

病院内で消化器でお世話になった副院長にあい、そこでも前の病院の対応に疑問を持ったと聞いた。

医療過誤で訴えようかと悩んでみたものの、母親が事を大きくするのはよしてくれというので引き下がった。

それから約一ヶ月、朝方病院の看護師から連絡があり、夜には危ないと言ってきた。

私はいつでも準備は出来てるのでいつでもいいですと言って電話を切った。

母に話すと昼間に一度顔を見に行こうと言ったのでついていった。

他の家族にも連絡はいれて、夜になっても慌てないようにと言付けた。

昼間の親父は呼吸が小さくてどうしようもなく見えた。

一旦帰り、夜の電話を待つと、1時を回った頃に連絡は来た。

急いで病院まで行くと、血圧が40台まで下がっていた。

夜勤の看護師に容態が悪くなったのはいつ頃からだったのか聞いてみると、機械をいじってデータをみせてくれ、朝方からですねといわれた。

だんだんと息をするスピードが遅くなり、血圧がみるみる内に下がっていった。

姉がまだ来ていなかったので催促をしていたとき、父の脈拍一度止まった。

まだ早いぞ❗

と気合いを入れると少し脈拍が動いていたが、やがて戻らなくなった。

姉は死に目には会えなかったが、家族が揃ったところで医師が来て、死亡宣告をした。

享年81歳だった。

男性の平均寿命ほどで親父は死んだ。

最後まで呼吸を苦しいながらもしていた姿は今思い出すだけでも辛い。

とうとう1人家族が欠けてしまった。

葬式は家族だけで見送り、親戚には電話で連絡をした。

コロナのお陰で親戚すら葬式に呼べなかったのは無念である。

私の心にぽっかりと穴が開いたようだった。

それからはいつもいつになったら死ねるのであろうとしか思えなくなってしまい、未来などどうでもよくなってしまった。

続きは次回


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