親父が死んだ⑤
再入院してから症状は平行線。
酸素は毎分6㍑のまま、それでも意識は戻り、話せるくらいまでになっていました。
私の心のなかはハラハラし通し。
いつ逝ってしまうのか?
医師に聞いてもわからないとしか言わない。
個人差はあるものの、長くはないとしか言われませんでした。
どの医師に聞いても同じような答え。
なんかうちの親父は損してばかり。
外に出られれば憂さ晴らし出来るのに。
それすらも出来ず、毎日病院のベッドの上の生活。
食事は食べないと体力が落ちるからと食欲も無いのに無理して食べていた。
そんな親父は今までの人生をどう思ったのだろうか?
面会は私が行けば必ずOK。
妹が行っても出来ない事が多かった。
何が違うのだろう?
押しが弱いから返されてしまうのか、始めに面会したいと言っているからなのかは今となっては分かりません。
毎回病院に行くとPCR検査を待ってる人がいて、マスクは必ず使い捨ての不織布マスク。
そうしなければ、こっちが感染してしまう様で嫌になりました。
コロナは全く勢いが治まる様子はありませんでしたから。
再入院から一ヶ月が経とうとしていました。
親父の様態は変わらず、たまに息切れをするくらい。
全くの平行線でした。
とりあえず医師の言った一ヶ月以内は外れました。
まあ、医師は最悪の想定でものを言うらしいので仕方がなかったのかもしれません。
だからといって、良くなる病気ではないことだけは確かでした。
本当なら家に帰らせたいとも思いましたが、動かすのも出来ない状態だったので諦めていました。
でも、一ヶ月生きたのに、色々ね手続きは出来ませんでした。
医師の言葉でやりようがなかったからです。
やっぱり最初の退院が引っ掛かり、怒りのやり場をどうしていいか分かりませんでした。
続きは次回。