親父が死んだ⑥
話し声がかすれて聞こえ辛くなってきたとき、母の耳が聞こえが悪くなっていたので集音器をかった。
親父は母に話しかけても聞こえないことに腹を立てて生活していた。
入院してからも母に対しては大きな声で話すため端からみたら怒って話しているようだった。
その対策として集音器を調達したのだが、補聴器と違い、うまく使えないようであったが、何とか使っていた。
それを親父なかいうと少し安心したようだった。
大きな声を出さなくても話ができるなら体も楽になるからだろう。
しかし、母も集音器を忘れたりして度々親父を怒らせていた。
私は死ぬなら呼吸器では死にたくはないと強く感じるばかりである。
要介護5となって、オムツ代くらいは出るだろうと役所に問い合わせると、妹が同じ世帯で納税者だったためでないと冷たく言われてしまった。
バカな妹だ。
こんなときにも使えないバカな妹、コロナが怖いと外にでない姉。
こうもバカが揃った家族も珍しい。
私は経済的に援助が出来ないので面会にきて世話をしている。
世の中は弱者には容赦のない事をする。
こんな世の中に生まれた自分を恨むばかりだ。
親父は食事形態がとろみと、きざみだったため、みるみる内に痩せ細っていった。
ベッドで寝たきりになってから自立歩行が出来なくなってしまったので、筋肉がなくなってしまい、骨と皮だけになっていった。
皮は垂れ下がり、見るも無惨。
幸い私は介護の世界に身をおいていたので見慣れてはいたが、家族がこんな風になるのはやっぱりショックであった。
もうすぐ再入院から2ヶ月が経とうとしていた。
続きは次回