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相米慎二『お引越し』(2024/6/14ゼミ)

今回のゼミでコメントがあった『お引越し』の神話性について補足します。

多くの神話では、災いや争いのあとに世界が創られ、新しい秩序がもたらされます。(例:キリストの受難と復活)  

『お引越し』は、レンコに災いや争いが生じ、彼女がそれを克服することで新しい世界観を獲得する話なので、たしかに神話的です。

神話性を支えるのが、自然のモチーフです。作品に登場する火や水は、神話の重要な要素です。(例:プロメテウスやノアの方舟) 風、森なども同様です。

サリーちゃんとレンコが坂を登ったあとに突然雨が降る描写に、ゼミ生さんから「不自然」というコメントがありましたが、神話だと思えば筋が通るのではないでしょうか。

雨が降ったとき、彼女たちが話していた話題は何であったか。赤ちゃんの「誕生」です。「誕生」や「死」もまた、神話の主要モチーフであり、『お引越し』の重要なテーマです。

この視点に立つと、レンコがお風呂場で叫ぶ「なんで産んだん?!」や、ケンイチの後輩のパートナーの女性が結婚・出産を決意する場面の重要性がわかります。

琵琶湖周辺を彷徨する前、道端でおじいさんに「水」をかけられたレンコは、おじいさんの息子さんが亡くなっていると知り、「死」を意識≒経験します。

その後、「森」をさまようレンコがオオカミのように吠える。彼女が(一匹狼として?)大人へと変身を遂げる様子を表現しているのでしょう。変身もまた、神話の典型的モチーフです。(例:オヴィディウス『変身物語』)

湖畔に着いたレンコは倒れて寝てしまいますが、そのそばには焚き火の「火」(ほとんど消えかかった残り火)がありました。

このあと、湖の「水」の中でレンコは過去の自分や家族とお別れします。これも、古い世界観が「死」を迎え、新しい世界観が「誕生」する、神話性の強い場面です。

「おめでとうございまーす」のことばは、新しく「誕生」した自分に向けられたものかもしれません。それを象徴するかのように、船が去った後、消えかかっていた「火」が復活しはじめます。

実は、この湖の場面が「神話」であることは、ある仕掛けによって明示されていました。それは「鳥居」です。森から抜け出して湖畔に出るところでレンコは鳥居をくぐっていました。(前述の「不自然な雨」の場面にも、後景に鳥居がありました。また、K先生が見せてくれた『ションベン・ライダー』の銃撃戦でも、鳥居が配置されていて、ヤクザがトロッコに乗って消えるところでは念仏が聞こえてくるという、神や仏のモチーフがありました。)

本作に祭りの描写が多いのも、神話的な演出といえるでしょう。祭りは、人間の共同体に神や仏をお迎えする行事です。人間は、災いを神が与えた試練と捉えます。試練を遠ざける手段は、祭りによって定期的に神をもてなすことです。(例: 無病息災、五穀豊穣祈願)

レンコにとっては、共同体の最小単位である「家族」の離散という災いが、試練でした。

もっともわかりやすい描写は、母、ナズナとの争いです。ナズナが契約をレンコに読み上げさせる時に長い棒を持っているのも、母娘の争いを示します。

しかし、祭りに行くまでに=神と出会うまでに、レンコは自分の力で母との闘いを制しなければなりません。

共同体(家族)は極めて脆弱になっている。一方、神はまだ遠くにいる。頼れるのは自分のみ。そのような状況に、彼女は置かれます。

すなわち、この作品は祭りの「前」(=神をもてなすことで共同体の安寧を得る前)に、災いにさらされてしまったレンコが、自らの手でその災いを克服しようと奮闘する物語なのです。

琵琶湖旅行で父ケンイチとの関係に決着をつけたレンコは、ここでようやく祭りに参加し、神の領域に近づいていきます。

祭りの最中、母ナズナに「はやく大人になるから」といったレンコは、お腹を抑えてしゃがみ込みます。これは彼女の初潮を表しているのではないかと解釈されています。

その後彷徨し、湖中で過去の自分や家族と別れるくだりが、神話的に表現される。

船が去ったあと、レンコを探し当てたナズナは「おめでとうございます」と、レンコと同じセリフをいって彼女と和解します。災いや争いを経て、ふたりのあいだに新しい「共同体」(家族)が誕生した瞬間です。こうして、神話の幕が閉じます。

以上、本作の神話的側面について補足しました。

神話は、近代日本では家父長制のイデオロギーと結びついてしまいましたが、相米監督の描く神話はそうしたイデオロギーとは無関係です。それは、この作品で父が退散し、母と娘の家族が新しい共同体として成立していることからもわかります。

ところで、K先生からもお話がありましたが、前回のゼミで扱った『火垂るの墓』の清太と節子は、家柄が良いはずなのに戦争という災いのなかで共同体からはみ出してしまう存在でした。共同体の外に置かれるという意味では、レンコの状況と構造的に似ているかもしれません。

けれども、レンコが災いを克服できたのとちがって、清太と節子は克服できなかった。ここに戦争のむごさがあります。(つまり戦争は、神話ではないわけです。なのに「神風特攻隊」などという言葉が生まれてしまった日本社会の滑稽さ。)

共同体に包摂されない人々が味わう苦境は、(『お引越し』もある意味そうであるように)戦後の現代社会に絶えず存在する課題です。

K先生が説明されたように、この問題の現代性を、高畑勲は『火垂るの墓』を通して伝えたかったのでしょう。

まとめると、『お引越し』も『火垂るの墓』も、共同体の外で苦しむ人間を描いた点で共通している、ということになるでしょうか。

『お引越し』の魅力は神話だけではありません。映像美や音楽、そしてゼミでも指摘があった美術など、見所はたくさんあります。

昨年(2023年)、本作の4Kリマスター版がヴェネツィア国際映画祭で賞を取ったこともお伝えしておきます。

【追記1】『お引越し』と『夏の庭』の4Kリマスター版が、2024年12月27日よりBunkamuraル・シネマにて上映されます。



【追記2】このnoteには『夏の庭』のポストもあります。


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