森﨑東『ニワトリはハダシだ』(2022/6/27ゼミ)
映画の冒頭、地元のガイドさんが観光客らしき集団に、引き揚げについて説明する場面がありました。その場面で、「浮島丸事件」に触れています。
青森県から在日朝鮮人を乗せて出航した浮島丸が、舞鶴港付近で爆発してしまった事件です。生き残った在日朝鮮人が舞鶴の人々に助けられたというエピソードが、映画では語られていました。
主人公サムの母親はそのようにして助かった在日朝鮮人の子孫という設定ですので、サムは韓国と日本のハーフ、ということになります。
両親は離婚していますが、養護学校の直子先生がサムの父親に、母親の必要性を説く場面がありました。ロシア人のターニャを乗せて軽トラックで4人で移動している場面です。ここでターニャが「岸壁の母」を歌い、それに合わせて、サムも同じ歌を口ずさみます。
「母は来ました、今日も来た・・・」
シベリアに抑留された息子の帰り(=引き揚げ)を、母が毎日桟橋に来て待ち続ける様子をうたった歌です。
はなればなれの母と息子のことをうたうこの歌は、サムと母の「遠さ」を表しているとも考えられます。「引き揚げ」は冒頭以降、直接触れられることがほとんどないものの、「母と息子の距離」というモチーフとして映画の基調音となっているのではないでしょうか。
この歌をロシア人のターニャが歌っているところにも、意味があるかもしれません。シベリアから帰れなかった日本人がいるように、ターニャも何かの事情でロシアに帰れず、舞鶴で暮らしているかもしれないからです。もしかすると自分の帰りを待つ母親を想って、「岸壁の母」を歌ったのかもしれません。
なお、日本でも多くの歌手が歌ってヒットした「釜山港へ帰れ」という歌がありますが、これは日本へ行ってしまって帰ってこない在日同胞を待つ人の心情を歌ったものだそうです。
戦争後、故郷に帰れた人もいれば、帰れなかった人もいる(シベリアや中国に抑留された日本人だけでなく、浮島丸事件に遭遇して死んでしまった朝鮮人も日本から祖国への「引き揚げ」ができなかったわけです)、という事実は、シンプルですが重く受け止める必要がありそうです。現在、ウクライナに帰りたくとも帰れない人がたくさんいることでしょう。もちろん、家族や故郷だけが人生の全てではありませんが・・