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母になってみて

結婚6年目に妊娠したので、周りの人にはびっくりされたこともある。
お互いの両親には「子どもは考えていないのかと思っていた」とズバリ言われた。(思うところはあっただろうになーんにも言ってこなかった両親sには感謝である)
結婚してからの5年間、何も考えていなかったわけではなく、実際はその逆で、ずっと、ずっと、ずーっと自問自答し続けた。
結婚して、仕事も順調で、何も迷うことなどないのにいつまでたっても「子どもがほしい」という気持ちになれなかったのだ。
子どもの有無それ自体で人生の価値が変わるわけではないんだ、と頭では分かっていても、「子どもがほしい」と思えない自分は何か欠陥があるんじゃないかと苦しかった。
また、そう思ってしまうということは、子どもがいない人を無意識に見下してるんではないかと、自分が怖かった。
友人の中では結婚は早い方だったけれど、後から結婚した友人が先に妊娠するたびに、何とも言えない焦燥感にかられていた。

とにかく悩んで悩んでカウンセリングに通うほどに悩んでいて、本当のところをいうと、妊活に踏み切った理由は「悩み疲れたから」。
だから、妊娠が分かったときの率直な思いとしては「もうこれで悩まなくていいんだ」だった。

トラブルがないようであった妊娠期間は割愛して、年明けに生まれた子は生後6か月になった。

今の率直なお気持ち。
何年も悩んでいたのが嘘のように幸せです!!!
これがマタニティハイでもいい!幸せであることには変わりがないんだから!

かわいい、かわいい、とにかくかわいい。
ほんのり甘い匂いがする髪の毛がかわいい。もちもちの雪見大福のようなほっぺたがかわいい。かまぼこ型のおめめがかわいい。歯がない笑顔がかわいい。折れそうなくらい華奢な首がかわいい。丸い肩がかわいい。ロンパースが食い込むほどむちむちの太ももがかわいい。眠くなるとぬくぬくになる小さなおててがかわいい。朝起きたら控え目な声で教えてくれるのがかわいい。「おはよう」と声をかけたらニコっとしてくれるのがかわいい。手遊び歌には退屈そうな顔でつきあってくれるのがかわいい。ハイチェアに座らせるとよだれを垂らしながら離乳食を待ってるのがかわいい。抱き上げると泣き止むのがかわいい。眠くなると眠い人のへたくそな演技みたいに目をこするのがかわいい。ほっぺたをすりすりすると「えく~」って満足げな顔をするのがかわいい。夜中に一心不乱に母乳を飲んでいるのがかわいい。

こんなつたない言葉で書き表せないほどかわいくて、いとおしい。

妊活を始める前、いや結婚する前から、現代の子育ての困難さはいろいろな媒体で目にしてきて、不安でいっぱいだった。
夫も私も実家が遠方で、地縁のない土地で暮らしていて、仕事はそれなりにハードで、体力に自信がない私には子育てなんかできっこないと決めつけたかった。
核家族育児の綱渡り感だとか、周囲の無理解だとか、これから失われていくばかりの体力だとか、これからの日本の先行きとか。
目にするのは「子どもは諦めよう」と結論つけたくなる話ばかりだったけど。

だけど、短いながらも母親をやらせてもらって分かったのは、子育ての困難さはいくらでも詳細に言語化できるけれど、「うちの子かわいい♡」がまるっと凌駕してしまうこと。
そして、この感覚は頭で考えている間は到底理解できなかったであろうこと。

まあね、妊娠出産で失ったものもたくさんあります。股関節の左側がずっと痛いし、お腹は引っ込まない代わりにお尻はぺったんこになった。肌のツヤは陰り、なんか中途半端な吹き出物がいっぱいある。常にぼーっとしてロジカルな考え事なんて無理。あらゆる動きの段取りが悪い。何にも失わずに親バカな父親になっている夫が大層うらやましい。

それでも。
この子の母親になれて本当によかったとしみじみ思う。
今後また身を食い尽くしそうなくらい思い悩むことはあっても、この子を授かったことを悔やむことはないはずだ。(と信じたい)

「子どもはかわいい」だなんて、有史以前から人類が綿々と感じてきたことだろう。だけど私にとっては一世一代の大発見のような喜びであった。
これまで思い詰めてばかりで「悩むのが趣味」なんて笑われることもあったけど、この大発見を機に、もう少し単純に、目の前の喜びを感じていけたらと思う。

最後に。周囲の人には優しくしていただいてます。悪い話ばかり目立ってしまうけどその何倍も優しさがある。

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