My Music Library #3 - 2022/10/29
こんにちは、ダリ衛門です。サルバドール・ダリが好きな衛門、縮めてダリ衛門。良い名前だと思いますよね。私もそう思います。(本当?)
今日も今日とて滞納記事の返済、まだハロウィーンなんて来ていない世界線からお届けいたします。1日5曲という縛り、今になって本当に後悔していますが、それはそれ、これはこれ。
御託はいらない、兎角更新するしかないのだ。欲しいのは、少しの(更新に)踏み出す(継続)力。という訳で、早速1曲目の紹介をしていきましょう。
1曲目: だんでぃどん / Dos Monos feat.筒井康隆
(すみません、上にポップアップされてる曲はまた別の曲(記事の下の方に貼ったやつ)なのですが、何故か上に表示されてしまった……まあせっかくなのでどっちも聴いてください)
いや、これ普通にやばいんですよ。
まず筒井康隆と言えば、日本のSF御三家の一人に小松左京・星新一と共に数えられる、あの大御所中の大御所、筒井康隆です。あまり本を読まない方でも「時をかける少女」の作者といえば、わあすごい、となるような大作家。泉鏡花文学賞、谷崎潤一郎賞、芸術文化勲章、日本SF大賞など日本に存在する文学賞を総なめしてきた彼は、御年88歳。もう新しいものへの追求なんてする必要ない、もう余生を穏やかに過ごしているだけで褒められるような存在なのにも関わらず、あのDos Monosとのコラボとはこれいかに。
Dos Monosはフリージャズ、あるいはプログレ色の強いビートをサンプリングしたトラックが非常に特徴的かつオルタナティブなヒップホップユニットで、私が知ったのはおそらく1~2年前だったはず。たまたまhiphopのチャンネルをザッピングして聴いていたらこの曲が流れてきて、めちゃくちゃ良すぎて頭抱えました (https://music.apple.com/jp/album/the-rite-of-spring-monkey/1523491093?i=1523491095 )
とは言えそこまで熱心に追いかけていた訳ではなく、というのもその頃はもう既に、自分が時間を費やす趣味が音楽鑑賞ではなくVtuberになってしまい、自ずと好きになりそうなアーティストを掘り下げることも滅多に無くなってしまった訳です。
だからこそ今日たまたま、本当に何の気なしにDos MonosとYouTubeで調べて、このコラボの文字面が目に飛び込んできて流石に沸きました。これは間違いなくオルタナティブの最先端でしょう。
https://books.bunshun.jp/articles/-/7398
もはや私がああだこうだだらだらと語るより、この荘子itのインタビュー読んだ方が絶対いいですね。淡々とジャズについてのエッセイを朗読する音声、切った張ったの混沌としたジャズビート、流れを断ち切るように乱入するラップと合わさることで、脳が震える衝撃と欣喜雀躍の快楽に到達できます。この記事さらっと読んだだけでも筒井康隆がライムスターに与えた影響について言及されていたり、音楽を作る上で彼の文学が一つの文化人的教養にされていたりと、知的好奇心をぐずぐずに刺激されてしまう。いやはや、もうひたすら良いものに出会えた僥倖を、完全に書き記すことができなくてもどかしいのですが、ひとまず、こんなかっこいい音楽、聴いてないやつ全員損だぞ!
2曲目: English Man In New York / Sting
クラシックにめちゃくちゃ詳しい先輩から教えてもらいました。どうしてこんな渋いところまで守備範囲が広いのか、皆目理解も及ばないです。いやしかし、今はまだ雫ちゃんだとしても、いつかは私がみんなの天沢聖司となるべく、さまざまな曲を聴き漁り、自分の好きな音楽がこんなに素敵なんだと、胸を張れるその日までまだ歩んでいきたいですね。
さて"English Man In New York"というタイトル通り、ニューヨークに住むイギリス人特有の苦痛、肩身の狭さが、洗練されたジャジーなサウンドに乗せて歌われています。コードを刻むピチカートが効果的だなという印象で、これって別にピチカートじゃなくても良いと思うのですが、それをあえてこうしているというのは、ある種ヨーロッパ風情を出すためのアピールに感じられなくもないかな〜高貴さを曲にもたらしたいからなのかな、とか考えたりも出来ますね。深読みかも。それ抜きにしても単純にセンチメンタルで味わい深い曲だなと思いました。
さて、このStingという男についても知識として覚えておくに越したことはないため、備忘録として残しておきましょう。
ポリスというバンドを1977年に結成し、そこでベーシスト兼ボーカルとして活躍していたとのこと。バンドの活動休止後にはソロアーティストに転身し、俳優業でも一定の成功を収め、家族にも恵まれ、まさに全てを手に入れた男。それでいて社会貢献事業にも積極的に取り組んでおり、神は何物かを間違いなく与え、それを適切に用いることが出来た成功例。
顔もシュッとしてていい感じです。これ、若い頃は相当モテただろうな〜という野暮な邪推をしてしまいますが、それでいていけ好かない野郎という感じもない。めちゃくちゃ最強じゃないですか、そんなん……。
まだまだ世の中には私の知らない才能人が多くいるという緩やかな絶望を与えると共に、だとしても自分らしさを忘れずいることの大切さを説いてくれる、素敵な曲です。
”Be yourself no matter what they say”
3曲目: Jeu de Cartes / Stravinsky
これもクラシックに詳しいお友達から教えていただきました。ストラヴィンスキーのバレエ曲で、タイトルの和訳は「カルタ遊び」で、サブタイトルには「3回勝負のバレエ」と名付けられているそうです。なんだそれは!
ある程度好きな音楽の手持ちが増えて以降、裾野を広げる行為に割とためらいを持つことが多かったが故に、こういう近現代の曲が手付かずのままだったのですが、だからこそ本当に有難いですね、こういうおすすめ。多分昔だったら敬遠していたタイプの曲なのですが、ラヴェル、リヒャルト・シュトラウスと徐々に変則的な曲にも耳を傾けられるようになってきた今の私ならば、消化できるはず……
今のところぎり、いけてます。というかバレエ音楽というのが功を奏して、ストラヴィンスキーのしっちゃかめっちゃかな要素が幾分か理性的になっていて聴き易い部類だと思います。後オーボエ吹きとしてはアングレもオーボエもかなり目立つような曲であるというのも嬉しい。死ぬほど不協和音だし、はちゃめちゃな曲想ではあるのですが、それでもこの先が読めない面白さを有した音楽というのは、普段よく聴くジャンルで散々愛でてきた自負があるため、その原初に立ち返ってそっぽを向くなんて行為は私のプライドが許さないということもあり、いや、全然聴けるけどね、うん。
ちょっと休憩が欲しい。
さて、閑話休題、せっかくのクラシック、解説を付けて見返しやすくしたいところなのですが、文献がまあ見当たらない。仕方ないのでWikipediaという集合知に頼ります。
曲は全部で三つの構成からなっており、トランプのポーカーに興じる様子が全体を通して描かれているのが特徴とのこと。え、ダンサーがカードにって扮してるって解釈でいいのか……?不思議の国のアリスにトランプ兵って出てくるけど、あれみたいなこと?最終的には、ディーラーの手が現れ、全てのカードが持ち去られるというオチらしい。プレーヤーではなく、盤上に無造作にばら撒かれるカードたちが主役のお話、ということにしておきます。ひとまず。これはバレエを見てみたいな、解説はおそらく簡潔に正しいことをまとめてくれているのだろうけれど、全然わからなかった!(笑)
第一ラウンド、第二ラウンド、第三ラウンドに分かれており、最終ラウンドには同じバレエ音楽である「コッペリア」や、ロッシーニの「セビリアの理髪師」、シュトラウスのワルツやベートーベンの音楽がオマージュされている、らしいのですがぜんっぜんピンと来ない!うわ〜〜ん、音楽的教養が試されている!!
というわけで、音自体は飲み込めたものの、そこに描かれている近現代美術特有の面白さを全然味わうことが出来なかった。
結論:敗者敗者、またいっぱい聴かせていただきたく思います……。
4曲目: ぷ・れ・あ・で・す! / 大空スバル
ぷ・れ・あ・で・す!のMVがようやく出来たらしい!ということで見にいったところ、なるほど…といった所感だったため、Apple Musicの方で紹介させてください。いや、めっちゃ可愛いし、クリエイティブ力入ってるんだけど、普通に周年ライブの全てが良かったから、MVよりライブverの可愛い衣装で頑張って踊って歌ってた印象が強い。というかもしMV見たいならそっちで見てほしい。(https://youtu.be/mhvHZpK-9Ss?t=2992)
あと単純にホロのMV最近アニメーション多すぎて、マリ箱もそうなんですけれども、お金かけたもんがちみたいになっててやべ〜と思いながら見てます。作詞作曲家陣からアニメーション作画監督まで、名前見たことある人ばっかりでえげつない。
さて、そんな財力で作った作品でファンをぶん殴ることを生業としている指定暴力団ホロライブのオリ曲の中でも、特段好きなのがこちら、「ぷ・れ・あ・で・す!」なのですが、作っているのはTRYTONELABOの滝澤俊輔さん。デレマスのShine!!、つぼみ、EVERMOREなどを手がけている実力派で、王道のアイドルソングでありながらコード進行のリハモが大分きわきわを攻める感じが好きなのですが、まさかスバルちゃんに楽曲提供してくれるとは…いやはや、最高です。
初見だと元気出るサマーソングって感じの音作りなんですけど、そんな生やさしい訳が無い。これインストで聴けば分かるんですけど、えげつなく音が良い。普通こういう打ち込みだと特にブラスの音って安っぽくなりがちなんですけど、全くそんなことがなくって本当にすごい。プロの仕事です、これ。ちょっとしたフェードイン、サビの裏に鳴らすボーカルと同じメロディのシンセ、オクターブで鳴らすことでより鳴るブラスとキーボード。こういう仔細へのこだわりがある音楽を、いつも頑張っている、他でもないスバルちゃんが歌うって本当に素晴らしいですね。いつも輝いていてくれてありがとう。(すばーるいつもありがとう!?)
ファンはキモいかもしれないけど、ホロのオリ曲、クオリティえげつないのいっぱいあるので今後も紹介させてください。
5曲目: Salt, Pepper, Birds, and the Thought Police(塩と胡椒と鳥と思想警察)/ Mili
そもそも1984年に囚われながら日々を送り、ディストピアの仄暗い世界が訪れないことを願いつつも、芸術が制限されて、日々が無機質に変わりゆく、花が徐々に凍てついて、緩やかに朽ちていくような絶望にほんの少しだけ憧憬があるのかもしれない。だから、この塩と胡椒と鳥と思想警察がリリースされて本当に嬉しかった記憶があるし、これの良さなんてもう語るまでもなくずっと好きでいられる自信がある。まあ語るんですが……。
甘やかなボーカルと、繊細なピアノが中心となって作られる上品な静謐は、曲の初めから終わりまで変わらない。それは、文化が萎れていき、思想が制限されていく世の中で、突然連行され、行き着いた先では壮絶に酷い生活が待ち受けていることを歌詞で描かれても不変である。死ぬよりも良いところと言えば、生きていることくらいで、言語も思想も何から何まで奪われ、改竄される中で、文化人は何を生きがいに出来るのだろう。気丈な心持ちがあれど尚、段々と現実と空想の境目が分からなくなり、詩人は「生きていた証を遺したい」と思索する。
そうして、いつしか思想の統制が終わった世界では、自分の書いた詩を子どもたちが自由に誦じることが出来る日が来ることをひっそりと望みながら、幕が降りる。
単純にサウンドだけでもMiliの楽曲のうちでもジャズ基調で一番好きな部類ではあるのですが、仄かな絶望を世間が覆っていく中でも、そこにある確かな克己心を本当に美しいものだなと思うからこそ、こういう世界観の作品がことさら好きだし、もっと自分の好きな作品について知って、その良さをすべからく享受する努力をしたいなと思うわけです。というと、どうやら元ネタの詩があるらしく。
さて、このnoteというコンテンツを使う意義がようやく出てきましたね。平素では皆さんの集合知に頼っておりますが、時に皆さんに私が調べた知識を授ける機会がやってきました。
この楽曲の元ネタは、尹東柱(ユン・ドンジュ)という詩人のいくつかの作品になります。
上のリンクから尹東柱の詩を閲覧することができるかと思います。立教大学では彼のことを研究しているのでしょうか、結構しっかりした関連資料があることに驚きました。
さて、何故この詩がオマージュ元であるのか、その確たる部分を引用して比較してみましょう。
まずタイトルである『塩と胡椒と鳥と思想警察』は、1948年に刊行された詩集『空と風と星と詩』に由来するものであると考えられます。しかしこの作品が発表される三年前、1945年の2/16に尹東柱は獄中死しています。そして、同年の五月に彼の墓には「詩人尹東柱之墓」と書かれた碑が建立されます。生涯一度も詩集を出版できずに亡くなった若き才への、せめてもの手向けといった意趣だったのでしょうか。
YouTubeのコメントによると、楽曲のイラストで中央に置かれた、鳥の羽を片腕になびかせた少女が籠の中で座っているという情景は、尹東柱が日本の警察の拷問で死んだことを表沙汰には出来なかったために、籠に閉じ込められた鳥に彼を見立て、彼の墓碑には籠の中の鳥に関する暗喩を刻み(ソースがコメントなので違ったらすみません)、その暗喩を作品のイラストにも用いたそうです。
歌詞自体にもオマージュは見つけることができ、
"Thinking about you, Mother" という歌詞は、
「お母さん、わたしは星ひとつに美しい言葉をひとことずつ呼んでみます」をはじめとした「お母さん」という言葉の列挙に通ずるところがあり、
”On a hillside, your little fist clutching sweat Walking to the memorial park You put down freshly cut white chrysanthemums A former Thought Police lowers her hat Children lying on the grass Singing to poems written by me”は、
「けれども冬が過ぎて わたしの星にも春が来れば
墓の上に青い芝草が萌え出るように
わたしの名まえの字がうずめられた丘の上にも
誇らしく草が生い繁るでしょう。」
が対応するオマージュだと考えられます。
※"On a hillside"=丘の上、記念公園に菊を携える=墓の上、死者への弔いの行為、冬が過ぎて〜来れば、季節が巡って「春」という自由が訪れることの示唆等
さっくりと引用していそうな点にフォーカスしてみましたが、このように、元ネタについて調べることでより作品を味わい深いものとできるのです。
と、ここまで書いて、この作品を軽々しく良いものだと礼賛することは許される行為なのでしょうか。ましてや楽曲の引用元となった作品を生み出した人物を国家ぐるみで迫害していた国に生まれた人間が、そこで生まれた作品のディストピア性に魅力を感じることは、正しいことなんでしょうか。
芸術とは、歴史と密接な関わりを持っています。人類の歴史の中に芸術が含まれていると言ってもいいでしょう。軍記物語や歴史書、史実のさまざまな出来事を表した絵画が多く現存しているように、かつての世界の歩みを辿り、未来に伝えていく上で芸術というのは非常に有用な手段です。
それは文章や絵画だけに留まらず、音楽という幾分か婉曲的なニュアンスを伴う方法ですら波及し、現在にも継承されています。そしてそれは、未来永劫変わることはないでしょう。オーウェルのような世界になっていったとしても、我々の心の内で奏られる音を制限することは、何人たりともできないからです。
音楽は常に開かれています。
我々が出来ることなんて、本当に、純粋に学び、手ずから生み出すことのみであるのかもしれません。そうやって芸術に真っ当に向き合い、葛藤した先にのみ、私が私を納得させることの出来る答えがあると信じて。
Miliの話を書いていたらどうやら3日はゆうに経っていたようです。そっか…
いっつも努力した先に何かあることだけを信じているし、願っています。
これを書いたあの時の私が、確かに努力していたことを覚えていますように。
さようなら。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?