好きな人が犯罪者になった
拝啓、世間。好きな人が犯罪者になったよ。
この情緒のざわつきを整理するためにも、ひとまず今の心情を書き留めなければならないと思い立ち、とめどなく文字を打っては消し、打っては消しを繰り返して、結論のようなものを見つけたような気がするけれど、何を書いているのか自分でも分からないし、あまりにもエゴい部分もあると思うけれど、どうか許してほしい。だって好きな人が逮捕されたから。
初めは中学三年生の頃、再放送されていたアイドルマスターシンデレラガールズのOPを聴いて、田中秀和(MONACA)という情報を好きになって、そこから彼が作った色んなアニソンを聴いて、もっと好きになって、あつまれ!どうぶつの森を配信するYouTubeも見たし、曲を作る有料の生放送だってチェックして、彼がDJをしたライブの現場には行けなかったけど、いつか会いに行けるって信じてたし、穏やかで丁寧な喋り口は聞いていると落ち着くし、控えめな性格とは裏腹に音楽へかける情熱が熱いところも知ってるし、散歩と絨毯と温泉っていう質の高い趣味は大人になったら真似したいと思ってたし、田中という飾り気の無い名字に、「和」音に「秀」でたと読める、その音楽性を体現したような名前の取り合わせが素敵だと思っていたし、貴方と仕事がしたかったし、ずっと大好きだし、ずっと大好きでいさせてくれると思っていた。
火曜二限の授業中、何の気なしに開いたTwitterのタイムラインの右横に、田中秀和という見慣れた作曲家の名前。脳が画面の周りの情報を認識する前に、トレンド欄の一番上の文字列をタップすれば、「田中秀和 逮捕」という見出しが躍り出る。
刹那、思考が止まる。
いやいや、まさかあの田中秀和が逮捕されるとは思えない。似たような名前の人なんて幾らでもいるだろうし、確かに田中秀和は35歳だけど、有名アニソン作曲家かもしれないけど、逮捕されるような人間じゃない。第一捕まったとしても、轢き逃げ(ぶつかっただけ)とか、少し前に事務所を退所してたから、そういう税関係のトラブルでしょっぴかれたのだろう。だって、あつ森の実況でああでもないこうでもないって悩んだ末、自分の島に「おーぎゅめん」島(とう)とか付けちゃう、控え目なお茶目さんが、そんな、報道されるような犯罪なんてするわけなくて、だって。
ああ、そうか。多分、田中秀和と同姓同名でウマ娘、アイマスに楽曲を提供した作曲家がいるのか。そうでもなかったら、私が数年も信仰してきた田中秀和が10代女性に何かをするとは思えないし、あんなに温和で優しい声の持ち主で、配信ではコメントを読んでくれて、リプすればいつもいいねをくれて、その音楽と人間性で私を虜にしてくれて、将来何をするにも貴方と仕事がしたいと常々思っていたし、だから、そんな私にとっての生きる指標が、よりによって性犯罪なんてするわけがなくて、これは本当は誤認逮捕で、画面をスクロールすれば目に入る供述なんて聞きたくない、今年の8月には犯行に及んでいて、逮捕前の最後の晩餐が横浜での食事だったことも知りたくなかったし、住んでいる場所が目黒区なら、フリーランスで余程良い暮らしも出来ていて、だからどうして、十は優に年下の女の子を付け狙ってしまったのかなんて想像するだけで吐きそう、私が好きな人に性犯罪者のレッテルを貼る世間なんて最悪だし、こんなことが現実なわけがない、だって、私がオタクである限り田中秀和は常にアニソン界のカリスマでいて、私もいつかその世界に足を踏み入れて、その暁には色んなことを勉強させてもらうってことは人生における決定事項だし、思春期を彩る音楽を作って、生きる指針となってくれた人が昨日の今日でいなくなるなんて有り得ない、どうして。
正直な話、私は田中秀和のことをすべからく好きでいるから、彼の容姿の美醜なんてあばたもえくぼとばかりに何もかも好きに変換されて、要はかっこいいと思ったことしかないのだが、大学の友人である、男性に対して厳しい審美眼を持つ青学女子達という世間は「年相応のおじさん」「格好よくは無い」等と宣うし、それ抜きにしても、一般的な感覚としては普通のおじさんが若い女の子を付け狙ったという構図に相違ない。この一件が無ければ、私は私の好きな作曲家について自信をもってかっこいい男だと言えたし、それを発信することにためらいなど持つこともなかった。
卑劣な犯罪を行っていたような人を好きと公言していとわなかった私は、男を見る目がなかったのだろうか。人生を委ねたいと本当に思っていたし、それに足る人物だと信じていたんだけどなあ。
性犯罪はその軽重に関わらず、本当に愚かしい行為だ。中高の通学で使っていた電車で痴漢してきた男の顔が、もれなく醜悪だったことを思い出す。今でも朝の東海道線は嫌いだし、背後に通勤カバンを持った男がいる時は嫌な汗が滲む。
私の好きな男も、きっと被害に遭った女の子にとっては醜悪で、怖くて、駐輪場を通る度に心をざわめかせてしまう要因で、彼が作った音楽も、私にとっては救いでも、彼女にはその対極の存在になっているのだろう。
スマートで余裕があって、思慮深く、そんな人柄とは想像もつかないほど奇想天外な音で私の生活に魔法をかけて、時に心を安らがせ、音楽に携わるという人生の設計図を書かせてくれた男は、一夜にして、見境なく少女に性欲を押し付ける醜悪なおじさんとなってしまった。
私は性犯罪を許せないし、見ず知らずの男から向けられる性欲なんて例外なく気持ち悪いし、彼の音楽がそういう行為を思い出させてしまって、性犯罪の被害者が嫌な気持ちになってしまうなら、配信停止にするべき、だと、思、思え、思わなくてはいけない、思うべきだし、これが、田中秀和じゃなかったら本当に素直に思えてるのに、この一連の騒動の渦中にいるのが田中秀和じゃなかったら良かったのにな、ずっとずっと大好きな人じゃなかったらな、私が痴漢に遭っている時ですら、聴覚にもたらしてくれる救いを生み出した人じゃなかったら救われるのにな、どうしてなのかな。
作品が配信停止になるだとか、公開できなくなるコンテンツが山ほどあるだとか、下手したら訴訟案件だとかそういうことは今はまだどうでもいい。好きな人が、一番嫌いな犯罪に手を染めたことが何より最悪で、でも今聴いてる音楽は何一つ隙がなくて最高で、どうすれば良いのか分からない。私は、どうやら彼のことを好きでいちゃいけないみたい。どうすれば良いのだろう。私は彼の代わりに、何を好きでいたら救われるのだろう。彼の代わりなどいない、それが確かな世界の中で。
使い方が何となく分かりづらくてDTMが苦手だから、今年こそ曲を作りたい、今年こそ、と思いながら10月になってしまった。私は彼が楽曲を通して教えてくれたAugコードも、ひと味違うフューチャーベースも、息を飲むようなサビ前のフィルインも、作り方は何一つ分からない。彼の本質はAugコードを多用するところじゃなくて、難解な和音をそこかしこに混ぜ込んでも崩壊しないメロを作れて、それでいて無意識的に解決したいと思わせるフックを設けていて、音楽に真摯に向き合ってきたが故に手数が多くて、音の端々にまでこだわりを持っているということしか分からない。
救いは手ずから生み出せると、それが紛い物だとしても、救いのような形状をしていれば大丈夫だと、そう言い聞かせる他ない。
MacBookに刻まれたProの文字を煌めかせられる日が来たら、その時は。
悪い、やっぱ辛えわ(ちゃんと言えたじゃねえか…。)
ここまでああだこうだ言ってきましたが、結局のところ生み出された楽曲も、そこに散りばめられた技法も本当に素晴らしくて、筆舌に尽くし難いほどの夢見心地を与えてくれたことと、人生を変えたいという活力を抱かせてくれたことはどうにも変えられない事実なので、彼から授けられた今までの救いとは、より一層真剣に向き合っていくしかないと思います。精進します。
最後に、皆さんに大声で伝えておきたいのは、
推しがいきなりいなくなったり、尊敬する人が一夜にして軽蔑の対象になったりすることというのは人生においてごく稀に発生するバグなので、そうなる前に会いに行きましょう。約束です。
さようなら。
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