【忘れたっていい備忘録】 新しいスポンジを下ろす ①
2022年の初め、私は仕事を辞め、付き合っていた人とも別れた。仕事は辞めて清清したけど、転職は思うように進まなかった。恋人と別れたのはそれなりに辛かったけれど、無駄に歳を取ったお陰で全然泣けなかった。切ないはずなのに。泣ければ幾分スッキリするはずなのに。
そんな不安やモヤモヤが重なったせいだろうか。心の中にある創作を司どるスポンジはカサカサに干からびて、無理に触りようものなら木っ端微塵に砕け散ってしまう寸前だった。泣けないのもそのせいだろうか。創作も私生活も何も手に付かなくなった。
それでも無理矢理新しいスポンジを下ろそうとしてみたが、うまく順応しない。好きなものを見ても聞いても何も染み込まない、という事実だけが重くのしかかる。このまま書くことをやめて時が過ぎていくのかな。3月のひんやりとした薄暗い部屋から、すっきりしない空を見ながらそう思っていた。
それから半月ほどしたある日の夜、久しぶりに外に出かけてみた。築100年以上経つ映画館の前で、私が近日公開予定作品をチェックしていた時のこと。
少女が嗚咽しながら、私の側をゆっくりとした歩調で通り過ぎてゆく。そんな明らかに訳あり少女に、つい声をかけてしまった。聞くに彼女はいわゆる家出少女(成人はしていた)だった。話を聞くと大阪の実家に帰りたいとの事だった。厄介ごとの嫌いな普通の人なら、「そうなんだ、頑張って」で終えればいい。そもそも普通の人は声も掛けないか。けれどこの時の私は誰かに寂しさを埋めてほしかった。なんでもいい、何か目的が欲しかった。
「家どこなん」「大阪やけど」「じゃあ大阪連れてくよ!」
二つ返事で決めた約束は、無気力な自分の心のスポンジにたっぷりと水を染み込ませるには丁度良すぎる刺激だった。
翌日正午を回った頃、新しいスポンジの包みを破り、自宅を出た。
目的地の大阪駅まで約300キロ、高速道路は使わずに下道を進む。Google MAPは12時間かかると告げた。
初めての超長距離運転、全く知らない道を進む事に期待し興奮していたからだろう、過酷だろうなんて微塵にも思わなかった。
家出少女も気を遣ってか、沢山話をしてくれた。家族のこと、今までの彼氏のこと、なんであの時あの場で泣いていたのか。どこまでが本当で、どこからがウソなのか、そんなことはどうでもよかった。関西人特有の軽妙な会話のリズムが、新鮮で楽しい。気分はまるで「ドライブ・マイ・カー」の様だった。
名古屋に着く頃には午後八時を少し過ぎていた。初めて見る名古屋の街並みはマンボウ下でも煌々と輝いていて、山道をのんびり走り抜けた目には余計に眩しく映った。
名四国道に乗ると何台もの貨物トラックが、私たちを乗せた車を追い抜いていくていく。まるでイニシャルDのレースゲームの世界に紛れ込んだみたいで、私は「わあ都会の道だ」とアホ丸出しに興奮していた。
「あれナガシマスパーランドやで」そう言う家出少女の横顔の奥を、虹色に光る観覧車がゆっくりと流れていく。知らない街の知っている名前のテーマパーク若しくはその近くでは、知らない誰かがこんなご時世でも瞬瞬楽しんでいるのだろうな。そんなことを考えながら前を走る車のテールランプに視線を戻すと、少し切なさを感じた。
青看板に「四日市」と表示されるあたりまで来た時、やっと今自分たちが三重にいることに気がついた。関西圏の土地勘がない私は、三重まで来れば大阪まであと一時間程度だろうと勝手に思い込んでいた。しかし本当に大変なのはここから先だということを、この時の私は知る由もなかった。