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論文を書くということ

論文を書くってすごく大層なことに感じるかもしれないけど、研究者なら人生の中で何回も書くし、そこまで特別視されるものでもない気がしてきた。

そして論文を書くことって、ものづくりに似てるなと最近感じてきた。小説を書くとか、陶器を作るとか、絵を描くとか、作品を作ることと同様な気がする。何かを生み出すという事はとても楽しくて、後から見返したときにやっぱりこれは必要だったと思えるもの、その一つの形として論文があるんじゃないかなと最近思うようになってきた。

この考えは今後変わるかもしれないし、分野によっても全然違うと思うけど少なくとも今私がやってる分野に関してはRQの設定の仕方も自由だし、それを調べる方法も自由で自分で決める必要がある。これを生み出す作業って人類の進歩に役立つとか言われてるけど、本人から見て、自分に最適な道具を生み出すことをしてるのではないかな~と

このまえ、中学時代からの友達でものづくりが好きな子になんでそんなにものづくりが好きなの?って聞いたら、「自分にとって最適なものがないから作るだけだよ」って言われてそれって論文と同じじゃね?って思いました。エビデンスがないから作る。いい道具がないから作る。すごく似ている気がする。

なので自分のために論文書いているんだろうな、、

いまは納得できない作品でも、手法を学んだり様々な知見が増えることで納得のいく論文になっていくんだろうな、、

備忘録として、、大層なこと考えてみました

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