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難病患者ですが 何か?
56歳無職自宅療養中の男性
病名は球脊髄性筋萎縮症 (詳しくはこちら)
簡単に言うと筋肉が衰えていく病気で国の難病指定されている。
40歳過ぎてからなんとなく周りの人より力がないのに気づき
徐々に仕事に支障をきたし病院に行った
始めは病名が分からず
なんとなく老化とはこんなものかと思っていた
しかし 明らかに重いものが持てないし よくコケる
その後 病名がはっきりしたのが 2012年4月だった
その頃は 自分が難病患者ということが受け入れられず悩んだりもした
学歴、財産、特技、技能 なに一つ誇れるものはない
この先どうすればいいのか
車椅子生活は確定している
幸いなことに同じ病気の患者と比較すると
私の場合は進行が遅いようだ
まだ 杖をつかずに100メートルは歩くことができる
自転車にも乗ることができる 坂道では押して歩くが
遺伝子の配列が通常と異なるため たんぱく質の合成に
不具合があるということはわかっているが
現在日本の医学では治療法も確立されていない
リュープリンという抗がん剤で病気の進行を抑えようかと
試みたが 私には合わなかった。
筋肉注射のその薬は赤く腫れて膿となってしまった
病院の担当医は真摯に向き合ってくれているが
有効な治療法や治療薬がないので 経過観察しか手だてがない
遺伝による病気で 事実 いとこの一人も同じ病気になっている
諦めた訳ではないが
「助けて下さい」「救って下さい」という思いはまったくない
ましてや 神さまに祈る事もご先祖様にお願いすることもしない
そんな現世利益などまったく信用していない
病気は敵ではないし 闘うものでもない
ガン細胞は切って捨てれば それで終わりかと聞かれたら
私ははっきり言う それは違うと
癌はその人の心が作った
その原因はその心にあるから
切除して ハイ サイナラ とはいかないのだ
憎い憎い癌細胞かもしれないが
病気が敵 病気と闘う と思うのはやめておこう
病気は自分に そして 家族に気づきを促すギフトなのだ
他人と比較していては落ち込むばかりで何もいいことがない
外を見て外に求めても何もいい結果は得られない
自分はなぜ生まれてきたのか
何のために生きているのか
自分自身に問いかければ 必ず答えは返ってくる
私はこの身体を選んで生まれてきた
お母さんにこの身体をお願いして生まれてきた
そんな思いが強くなった。
そして悩みはなくなっていった
最近 いろいろなニュースが溢れている
人を殺す、刑務所に入りたくて犯罪を犯す
放火して自分も死んでやろう
無知で傲慢としか言いようがない
自分自身をあまりにも過少評価していて 自分に申し訳がない
死について 死生観については長くなるので
今回は書かないでおこう
悩みの原因はすべて自分で準備して自分で起こしている
たとえ他人が関わったとしてもそれを招いたのは自分なのだ
他人に責任転嫁するのは簡単だが
結果を自分の外に求めたら いい結果は返ってこない
だから私は
自分の心の声を聞く
自分自身のバグを見つけ
自分自身をアップデートしないと現状は打開できない
とは言っても 私がたくさんの問題を抱えているのも事実だ
そして 科学の進歩はめざましい
iPS細胞による新しい治療法が発見されればそれを試してみたい
というのが正直なところ
また 難病が治ったという奇跡的な体験談があるなら聞いてみたい
というのも本音だ
しかし この病気になったから
いろいろな事を考えることができたし 学んだ
この病気から得られたことがたくさんあるから
この病気と付き合っていくと決めている
リハビリのため散歩をしていると 近所の人からは白い目で見られる
車ですれ違った人が何度も往復して見てくることもあった
受け入れられないのは当然だろう
大声で叫んでやろうか
「難病患者ですが 何か!」
息苦しい世の中だと感じているのは私だけだろうか
そんな私だが
私には目標がある
まだ見ぬ 自分の中の本当の自分に出会うこと
無限の可能性を秘めている自分である
今はそれが見えていないだけなのだ
そんな本当の自分が待ってくれていると思うと嬉しくて仕方がない
喜び、無限の広がりが感じられる
目標達成には何年先になるかわからない
今世は無理かもしれない
そしてそれが
たとえこの肉体が朽ち果てても
永遠と続く大きな大きな目標なのだ