退職届より求人が先に
2012年当時(46歳) は倉庫の会社に勤めていた
私が確定診断を受けたの時の話を記しておく
会社・職場は
私がそのころ勤めていた会社は運送業
工場でできた製品を毎日各ユーザーの出荷リストに合わせ
荷物を詰め合わせてパレットに乗せ
トラックで配送していく
私は毎日毎日フォークリフトに乗り
倉庫の中を走りまわり パレットに積み込み
ドライバーに引き渡す係だった
大阪に本社があり社長には年に1度だけ顔を合わす
全従業員80名ほどの小さな会社だが
私の勤務先は所長と倉庫内の集荷担当が4人
ドライバーは8人
60を過ぎたであろう常務は週に1度やってきて
1時間ほどおしゃべりをして帰っていく
朝はいつものんびりとしていた
午後2時に出荷リストができてくるまでは
製品の入庫や整理・掃除で時間をつぶす
近代的な自動倉庫ではない
山ほどある棚の中にそれぞれの製品を入れ保管していく
一箱の重さは10㎏~20㎏
軽いものもあるが ロール状の製品は30㎏を超えるものもある
パレットにさまざまな種類の箱を並べ荷造りをする
自社のトラックだけでなく遠方は佐川急便や福山通運、クロネコヤマトにも
配送をしてもらっていた
身体が思うように動かない
2008年頃から身体の異変に気が付いた
その前から手先の震えや顔面神経痛のようなひきつり
などはたびたびあった
重い物が徐々に持てなくなってきた
ジョギングは5キロ ゆっくりと走る
筋肉は鍛えないといけないと思っていた
筋力が平均的な一般男性よりも劣っていると感じていたが
年齢を重ねるというのはこういうことかぐらいの感覚だった
2010年4月
健康診断の数値に異常がでてくる
LDL悪玉コレステロールが145 高値
肝機能は GOT、GPT、γ‐GTP、LDHはいずれも異常に高い
総合判定は要再検となり
近所の医院を受診し再度血液検査をしてもらう
しかし異常はどこにもないといわれる
ジョギングは3キロが限界だったが冬になると走れなくなった
職場では駐車場から事務所までの短い距離を歩くのに
少し足が重たくなり、つまずかないように、こけないように気を付けた
上司に力がないことを伝えた
2011年2月
毎日寒い日が続く
休日はウォーキングをしていたが筋肉痛がひどくなり長引いていた
職場の皆には迷惑をかけていた
荷物が持てないので普通の人より倍の時間がかかってしまう
整形外科に行って
3月4日 整形外科医院を受診
重い物が持てない、走れない、筋肉痛が長引くことを医師に伝えると
「特に異常は見当たらないが 【筋委縮側索硬化症】という病気があるから
日赤の紹介状を書くので診てもらってください」 と言われる
3月11日 日赤神経内科受診
原因がわからず病名も特定されない
4月になって会社の健康診断は要精密検査となる
8月ウォーキングの限界が2キロになる
疲れやすいのでマッサージにもちょくちょく通っていた
マッサージ師は 【脳脊髄液減少症】という聞いたことのない病名を
教えてくれた
従兄も同じ病気だった
家族にも現状報告をした
母方の従兄Tは18歳年上で当時64歳
同じ市内に住んでいるがゆっくりと話をしたことはなかった
母から、その従兄が筋肉の病気で名古屋の大学病院に通っていると聞く
2012年2月26日
私は従兄Tに病気のことを詳しく聞いた
自覚症状が全く同じでビックリ
その時 初めて 球脊髄性筋萎縮症という病名を聞かされた
そして名大病院で治験を2007年に受けていた
治験とは薬が効くか効かないか人に投薬して実験すること
治験薬は【リュープリンSR注射キット】
すでに武田薬品から販売されており前立腺がんや閉経前乳がんの治療薬として使用されている
この薬が球脊髄性筋萎縮症に効果があるかの治験だった
従兄Tは普通に生活しているが立ち上がりや入浴には苦労しているなど
いろいろと話してくれた
彼の血液検査のデータも見せてもらう
やはり 肝機能が高値となっていた
そして遺伝子の病気で遺伝することを聞かされる
もう間違いない 私は【球脊髄性筋萎縮症】を確信した
しかし 日赤の医師がどういうかわからない
急遽日赤の予約を入れるが4月まで取れなかった
難病患者か
難病患者、将来は車椅子生活
大きなショックを受けた
どうしよう
仕事ができない
お金がない
身体の自由が利かない
治らない病気、治療法がない
どうにもならないことを深く考え
とにかく焦った
全国で6000人ほどの患者数
会社は辞めなければいけない
小さい会社だ。事務職に配置転換できるような部署はない
医師の確定診断がでる前に生命保険の契約をしようかと考え保険屋さんと商談する
保険には審査がある健康診断の結果がバレたら病気であることを隠しておけない。告知義務違反となってしまう
後日保険屋さんに電話し断った
確定診断
2012年4月5日
日赤病院神経内科で従兄が球脊髄性筋萎縮症だと伝える
医師は舌を診て かっけの診断のように私の膝を叩いたあと
あなたもその病気【球脊髄性筋萎縮症】ですと 言われた
次の日 上司(所長)に報告した
難病指定された特定疾患患者ですといって
インターネットで検索した詳しい病気の説明を渡した
「社長、常務にもこの事を伝えてください」
それから
今の職場では長く勤められないことも伝えた
4月12日
常務がやってきた
本社にも難病患者がいて悪化するまでずっと勤務していたと聞かされる
私は常務に冗談交じりのように
私 「次の人を入れてもらってもいいですよ」
常務「まあ どうしても仕事ができんというとこまで我慢せいや」
といわれ、このまましばらく勤務するのかと思っていた
退職届 まだ出してないぞ
4月18日
所長が5月に求人をいれると言ってきた
先日の常務の話は何だったのか
私はまだ退職届を書いていない
社長、常務、所長の中でうまく話が伝わっていないようだ
5月になり数名の人が面接に訪れた
私は次の仕事が見つかってないので
退職が【解雇か自己都合】なのか気になった
失業保険の給付にも関係してくるからだ
所長に
「なぜ求人募集したのか社長に聞いてください」と言ったが返事はなかった
5月20日
新人が入社してきた
私は新人に仕事を教える
私が退職する前提で物事は進んでいる
常務になぜ求人募集したのかきいてみたら
「お前が辞めるというから求人を入れた。会社が求人を入れるということはそういうことや。わしはお前に、もうちょっと我慢せいいうたやろ」
と言われた
いくつかの矛盾を感じそのままを所長に伝えた
5月28日29日
私用で会社を休む
次の日出勤するとベテラン社員2人も突発で休んだそうだ
事前に休暇願を出していた私
ベテラン2人は体調不良だそうだが嫌がらせか所長への無言の抵抗だとしか思えない
出荷作業はドライバーを巻き込んで大騒ぎになった
5月31日
常務が「退職届を出してくれ」と言ってきた
6月1日
所長に退職届を提出
「解雇か自己都合かは社長にお任せします」と言い添えた
私は 6月末で退職した
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