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断髪小説『転勤と遠距離恋愛と10分カット』

あらすじ

学生時代から付き合っていた明彦あきひこと遠距離恋愛になった。時間とともに寂しさは感じなくなったが、再会した彼が香保かほにした行動は。

小説情報

文字数  :4,956文字
断髪レベル:★★★★★
キーワード:転勤、遠距離恋愛、10分カット、床屋
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本文

 明彦あきひこと遠距離恋愛となって三ヶ月が経った。人員補充の為と突然の地方転勤だった。期間は決められていない。
 
 彼と私は学生時代から東京でずっと一緒だった。これからも変わらないと思っていた。急な話で仕事を辞める訳にもいかず、付いて行かなかった。

 電話やメールで連絡は取っていた。最初こそ寂しかったが、時が経てば一人の生活にも慣れ、寂しいという気持ちはだんだんと薄れていった。

 一方で明彦は会えなくて寂しそうに見えた。ただ休日が合わず、東京に来てもらうのも遠慮していた。彼も向こうでの生活に慣れるまでは精神的にも体力的にも大変だろうと思っての事だった。



 ようやく二人の休日が合い、彼の転勤した土地へ向かった。新幹線で四時間の距離だ。久々に会えるのは嬉しい反面、この移動時間が心の距離を表している気がしてどこか不安だった。

 駅に到着して改札をくぐると、人がまばらに歩いている。彼とは改札で待ち合わせをしていた。キョロキョロと視線を動かして、彼の姿を探すがすぐには見つからなかった。スマートフォンで連絡を取ろうと、構内の隅に移動しようとした所、横から名前を呼ばれた。

「香保<かほ>」

 声がした方へ向く。ポロシャツにジーンズ、スニーカーとカジュアルな格好で、キャップを目深に被った男性がいた。よく見れば顔も体格も明彦だ。ただ東京に居た頃と印象が違い、どこかラフだ。今ひとつ自信が持てない。

「明彦?」

 意図せず疑問系になった。

「何だよ、もう忘れたのか?」
「東京に居た頃とは全然雰囲気が違ったから」

 アウトドア以外でカジュアルな格好を見た覚えはない。どちらかと言うときれいめでシンプルな格好を好み、ジャケットとスラックスが多かった。ワンポイントでアクセサリーを付けたりもしていたが、そんな様子はなかった。

「ここに馴染なじむためにな」
「そうなんだ。それに髪を短くしたの?」

 多分一番の違和感はキャップとそこから見える髪だろう。転勤する前は長髪とまではいかないが、長めのショートでパーマとか軽くかけていた気がする。今は帽子を被っていてよく分からないが、見える髪は短く刈り込まれていた。

「こっちに来た時に心機一転でバッサリとな。短い方が可愛がってもらえる。で、久々に会った彼氏と感動の再会じゃないのかよ」
「何か雰囲気が違いすぎて戸惑ってると言うか……」
 
  違う人みたいで落ち着かない。明彦はふぅと一つ溜息を吐いたようだ。

「ま、それも香保なんだろうな。こっちだ。車を止めてある」

 私の荷物を持って駅の構内を歩き出した。一緒に歩き出す。

「車、買ったの?」
「あぁ、ないと不便だからな」



 車は5ナンバーのハッチバックだった。トランクに荷物を入れ、助手席へ座った。東京では車を所有していなかった。彼が運転している姿を見るのはこれが初めてだ。思ったよりスムーズな運転で驚く。

「運転できたんだ」
「そりゃできるだろ。免許あるし、オートマ車だし」
「ペーパーだったじゃない」
「社有車は運転してたさ。自分の車を持ってなかっただけだ」

 ずっと彼と居たのに、知らない事があるとは思わなかった。この三ヶ月で知らない人になったみたいに感じる。

「寄りたい所があるんだが、いいか?」
「うん。いいけど、どこに寄るの?」
「着いてからのお楽しみだな。」
「えー、なにそれ」

 彼は少し口角を上げただけで何も答えなかった。



 国道沿いのショッピングモールの駐車場に入り、車を停めた。

「降りて」
「何か買い物?」
「ちょっとな」

 彼は車から降りていく。私も慌ててシートベルトを外して付いていく。
 
 彼は迷いなくショッピングモールの中を歩いていく。行き先は決まっている様子だ。

「よく来るの?」
「あぁ。この辺の地理に明るい訳じゃないからな。ふとした日用品とか揃えたりとかで使うな」
「ふぅん、そうなんだ」

 東京にあるようなショッピングモールとは少し違っていて、地元密着といった雰囲気だ。確かに生活するための道具は一通り揃いそうだった。

「ここに入るぞ」

 目の前にあるテナントは10分カットで有名な床屋のチェーン店だ。東京でも見かけた事がある。彼はそれだけを言うと店に入っていき、券売機でチケットを購入している。とりあえず店舗に足を踏み入れた。

「今から髪を切るの?」

 彼が髪を切るのなら、待ち時間は他の場所で時間でも潰そうかと考える。彼氏の床屋に付き添うのは何とも奇妙な状況だ。

「髪を切るのは香保だよ」
「え? なんで?」
「なんででも。ほら呼ばれてるよ。オーダーはこっちでしておくから」

 店の中は空いている訳では無かったが、丁度タイミングが良かったのだろう。

「ちょっ、ちょっと」

 腕を掴まれて、呼ばれたカット台まで連れて行かれた。そして無理矢理座らされた。彼は担当することになるであろう若い男性に話しかけているようだ。少し距離があるのと、周りの喧騒けんそうでいまいち声が聞こえない。

「……一番……」
「……ですか?」
「あぁ、……ない」
「わ……ました」

 髪を切るつもりはないので椅子から立ち上がろうとすると、店員がやって来た。

「時間がありますので座って下さいね」
「あの、私髪を切るつもりは、」

 そう言いかけるが、いまいち店員に伝わってないみたいだ。椅子に戻されてケープをキツめに付けられた。

「危ないですから、動かないで下さいね。」
「ですから、私は」

 突如、『ビィーン』とモータの回転する音がした。

――なに?何の音?

 後頭部を店員の手でがしっと抑えされ、頭が動かせない。

 額の真ん中にバリカンを近づけられる。

――う、うそでしょ!?

 店員の動きと展開の早さに声にならない。

『ジー、ザザザッ、ザリザリザリ』

 額から入ったバリカンは無常にも私の肩下まで伸びた茶色い髪を根元から刈り、一つの青白い筋が作られた。

――な、なに、これ……

 刈られた後の髪はスローモーションのように、するりとケープへ落ちていく。

『ザザ、ジー、ザリザリザリ…、ザザザ』

 店員の手は休む事なく、すぐさま私の頭へと滑り込ませてくる。すごい量の髪が落ちていく。頭のてっぺんだけ妙な涼しさを感じる。落武者のような姿になっていく自分の姿に血の気が引き、顔面は蒼白そうはくになる。

――何で、こんなこと……

 はくはくとどう息を吸ったらいいのか分からなくなり、胸の動悸どうきも激しくなる。なぜか周りの喧騒から自分に向けられているであろう言葉だけが、やけに耳に入ってくる。

「ありゃあ、凄いことになってるなぁ」
「うわっ、これヤバくね。すげー迫力」
「パパ、女の人なのに坊主にしてるよ!?」

――ぼうず?私、坊主にされるの?

 思ってもみない言葉だ。坊主にしようと思わないし、ましてや坊主になるなんて考えた事もない。これが現実に起きている出来事に思えなかった。いや思いたくなかった。

『ザザッ、ジー…ジョリ、ジョリッ』

 店員はそんな私の様子を意に介さず、物凄い早さでバリカンを進めている。気付けば頭頂部にはすっかり髪が無くなっていて、耳の上の髪を無くしていた。

 鏡越しに待合の椅子に座っている彼の姿が見える。表情を変えずにジッとこちらを見つめている様だ。何を考えているのか、ここからはうかがい知れない。

――明彦、どうして……

 そんな心の声なんて届くはずもない。分かるのは私が坊主にされるのは彼の意思という事だけだ。

 坊主にされていく自分が周りに見られていると思うと、居たたまれない。俯きがちになってやり過ごした。

 襟足からも容赦なくバリカンは入ってきた。何度も頭全体にバリカンが走り、あっという間に青白い、かなり短い丸坊主になっていた。

 掃除機の様なもので頭を吸われ、ケープを外された。ケープの中の暑さと恥ずかしさで脂汗が額ににじんでいたが、一気に涼しさを感じた。

「お疲れ様でした」

 店員が軽い口調で言っていた。

 ふらふらと椅子から立ち上がり、明彦が座る待合の椅子へと向かった。彼は立ち上がって出迎えてくれる。

「お疲れ」

 それだけを言って、彼は帽子を取り私の頭にポスっとかぶせてきた。ぶかぶかだったが、彼の温もりが残っていた。彼はそのまま私の手を握り、二人で店を後にした。明彦は私より少し長い坊主頭だった。

 店を出て、ようやく声を出せた。

「明彦、どうしてこんな事をしたの?」

 いざ尋ねると目に涙が滲む。坊主にされた事を受け入れられない。夢ならいいのにと願わずにはいられない。

「んー。仕返しかな」
「仕返しって」

 何かをした心当たりはまるで無い。

「ここでは何だ。車に行こう」

 そう言って、彼は私の手を引いて歩いていく。置いてかれない様に付いていった。



 駐車場の車の中で二人きりになると、彼が口火を切った。

「香保は俺と離れてても平気そうだよな」
「そんな事ない」
「本当か? 会いたいとも寂しいとも言わないじゃないか」
「そんなの言っても負担になるだけじゃない」

 明彦は仕事の都合で転勤したのだ。彼に言っても困らせるだけにしか思えない。

「俺は会いたいって言ったけどな。東京にも行くって。その度に仕事があるからって、香保は拒否ってたけどさ」
「少しの時間しか会えないのに?慣れない土地で疲れているだろうから、少しでも体を休めた方がいいと思っただけよ」
「その少しの時間でも会いたいんだよ」

 彼がそんなに会いたがっているとは想像してなかった。

「……そんなの分からないよ」
「それに、今日の待ち合わせ、俺にまるで気付かなかったよな。三回くらい目があったのにさ」
「それは雰囲気が全然違うから」
「百歩譲って気付かなかったのは良いにしても、その後喜ぶ訳でもなく、楽しそうでもないのは流石に傷つく。会えて嬉しかったのは俺だけかって」

 流石に言いがかりだ。ここに来るまで会えるのが嬉しい気持ちもあったのだ。思わず語気が強くなる。

「そんなつもり無い! 格好が変わっていたり、車を持っていたり、知らなかった事が多くて戸惑っていただけよ!」
「そうは見えなかったけどな。俺は思わずハグしたいくらいに嬉しかったのにさ」

 ――自分はどうだろうか……

 ふと考え込んで沈黙した。雰囲気の変わった彼の胸に飛び込めただろうか。

「俺は香保と一緒にいたい。香保には仕事があるし、今回は突然の事だったから、辞めて付いてきて欲しいと言えなかった。近い内に東京に戻ることはないし、また別の地方へ転勤になるだろう。なぁ、香保は俺と一緒にいる方法を考えた事はあるか?」
「それは……、」

 言葉に詰まった。彼の言う通り、すぐに仕事を辞めるつもりはない。かと言って、どうしたら彼と一緒に居られるのか考えもしなかった。その内、何とかなるとただ漠然ばくぜんと日々が過ぎていただけだ。

「それだけ俺たちの心は離れているんだよ。さすがにキツい」
「でもだからと言って坊主にするのは酷いんじゃない?」

 彼と同じ温度感じゃないのは申し訳ないと思う。たとえいくらそうだとしても、これとそれとは話が違う。

「そうでもしないと諦められないんだよ」
「どういう事、それ」
「坊主にされたからと香保から別れ話をされれば諦めもつく。それだけ酷い事をしたさ。転勤が原因なんてどうしても未練が残るだろう。それに、」
「それに?」
「坊主頭から次の彼氏ができたなら、祝福できると思ったんだよ。それなりに月日が経ったか、香保の事をちゃんと好きになった人になりそうだしな」
「明彦は私と別れたいの?」
「それを決めるのは香保だ。俺からは言い出せそうもない。無理矢理、坊主にされたと被害届を出して貰っても構わないさ」
「何よ、それ」
「で、どうする?」
「私は……」

 香保と明彦の選択は、二人以外に知る由もない。

後書き

ショートショートです。
楽しんで頂けましたら幸いです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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