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断髪小説『ただ髪を切る話』


概要

タイトルのまま、ただ髪を切っているお話です。

小説情報

  • 文字数  :4,400文字程度

  • 断髪レベル:★★★☆☆

  • キーワード:ベランダ、カットクロスなし、相互視点

  • 項目の詳細はこちらをご覧下さい。

本文


「今から髪を切ろうか」

 自然と口にしていた。仕事の忙しさからどこかへ出かける気も、かといって家で何をする気にもならず初音はつねと部屋着のままダラダラ過ごしていた、ある休日の昼下がりのことだった。

 最近の彼女は伸びてきた髪をゴムで一つにまとめ、前髪も目にかからないように左右で分けるだけ。ふとした瞬間に髪を掻き上げたり、ピンで止めたりして鬱陶しそうだ。邪魔ならいっそ切ればいいのにと不意に思った。

「やっぱりそろそろ切らないとかな」

 彼女は親指と人差し指で摘んだ前髪を眺め、しばらくしてから「そうだね」と言っていた。

◇◇◆◆◇◇

 最後に切った日を忘れるくらいに伸び過ぎている前髪。いつだったか思い出そうとして積み重なる数字にうんざりする。

(1、2、3……。うわぁ、もう5ヶ月は経っているのか……)

 長袖ニットから半袖シャツを着るくらいには季節が移ろう月日だ。そりゃあ前髪が口元を覆うくらい伸びるわけだ。しかも前回は寒くなるからと長めに揃えたことを今になってようやく思い出した。

 さすがに弘毅こうきが髪を切ろうかなんて言い出すわけだと、その提案に首を縦に振る理由しかなかった。

◇◇◆◆◇◇

「あーいや、ちょっと待って」

 考えるより先んじて反射的に首を横に振った。少し伸びた俺の前髪も一緒に揺れた。妙に気になって襟足に手を伸ばせば、首筋にかかる伸びた髪の感触に苛立ちすら覚える。
 
「俺、先に自分の髪を切るわ」

 すぐさま立ち上がり、彼女といたリビングから出た。

 俺は自分の髪が鬱陶しかったんだ。

◇◇◆◆◇◇

「え、ええ……?」
 
 弘毅が向かった先からゴトゴトと物音がした。気になって後を追ってみると、唐突にヴィーンとモーターのような音が家の中に響きだした。

(なにごと?)

 シェーバーの音かと思ったけど、いつもと少し違う。ドアの影から物音がする部屋を覗き込んだ。彼は洗面台の前に立ち、モーター音を上げている機械を額に押し当てようとしていた。

(ちょっと何をして……)

 家の中を響いていた音が一段と高くなりザザザッと濁るものが混ざった。その濁音が響くたびボトボトと彼の黒い髪の塊が白い洗面台に落ちる。

(ええっ!?)

 額からつむじまでバリカンの通った跡がくっきりと鏡で見えた。
 
 彼はこちらに気付かないのか、額からバリカンを滑り込ませて髪を短く刈っている。頭のてっぺんはほとんど芝生を刈った後のように短い。
 
(坊主じゃん!?)

 開いた口は塞がらないとはこのことだった。

 器用な手つきで耳を押さえながらサイドも刈り、後ろもあっという間に短く刈り込んでいく。そしていろんな方向からバリカンを頭に這わせると響いていたモーター音がピタリと止んだ。

「あとで片付けるから」

 その一言を言い残して、上のシャツだけ脱いで浴室へ入って行った。

 時間にしておよそ十分ほどのあっという間の出来事だった。シャワーの水音がしてはっと我に帰った瞬間、床に散らばった髪を見るなり盛大なため息を吐くことにした。

◇◇◆◆◇◇

「ベランダで切るから」

 そう宣言した。

 シャワーで流した頭にフェイスタオルを巻いて浴室から出たあと、彼女が不機嫌そうな顔をしていた。掃除された洗面所からその理由は察しがついた。

 ベランダにレジャーシートを敷いて、その上にアウトドア用の折りたたみスツールが置いて。

 用意した道具はハサミと櫛と霧吹きと、そして――

「こっちに来て」

 部屋にいた彼女へ呼びかけるとまとめていた髪を下ろしてから、彼女はベランダへ出てきた。

「暑くなりそうね」
「もうすぐ夏だからな」

 彼女が低めのスツールに座ると背中を覆う髪がなおさら長く見える。この際バッサリ切ってしまってもいいだろうと思うくらい。シートの上に両膝付いてハサミを構えた。
 
 髪を一束掴んで肩口でハサミを閉じた。想像より固い感触でザクリと鈍い音を立てていた。掴んだ量が多く数回ハサミを開閉して、やっとのことで切り離した。

「ほら」
「え゙……」
 
 三十センチほどの髪束を彼女に差し出すと、どこから出したのか分からないような声を出していた。

 その反応が面白くて、ハサミを動かす手が止まらなくなった。切るたびにピクリと小さく震える肩もより煽ってくるようで。

 黒々とした髪が次々とベランダに落ちていった。
 

◇◇◆◆◇◇

 肩口でプツリと髪の感触が途切れるのは違和感しかなく、切られた髪の長さにただ呆然とした。

「髪、一番短かったのってどのくらい?」

 今更なその質問は彼なりの配慮なのだろうか。 
  
「……肩くらい?」

 小首を傾げて言った。今よりもう少し短いくらい、切り揃えたらたぶんそのくらいの長さになるだろうか。

「じゃあそれより短く切ろう」
「は……、い?」

 頭の上から声がして、顎先になにかが触れた。ザクッと音がすると、肩に髪が落ち毛先が頬を叩く。ハサミはそのままスライドしていく。

「あ、あ……」

 どのくらい切るつもりなのだろうか。そんな言葉すら声にならない。

 襟足にハサミを押し当てられて、音がするたびについ肩も震える。もう首が丸見えになるくらいに切られてしまっている。

(こんなに切って、明日会社でなんて答えたら……)

 暑くなってきたので気分転換です、と答えるだけで追及を躱そうとするのは楽観的かもしれない。考えるだけでもう頭が痛かった。

◇◇◆◆◇◇

 背中を厚く覆っていた髪はすでになく、うなじもすっかり露わになった。真っ直ぐ切ったつもりでも櫛を通してみると意外にも毛先は不揃いだ。

 揃えるか、それとも……、と思案していると彼女が口を開いた。

「かなり短くない?」
「まだもっさりしているからなぁ」

 櫛で耳の上の髪を持ち上げてハサミを入れた。バサバサと髪が彼女のふとももに落ちる。すっきりと切ってしまおうと思った瞬間だった。
 
「えっ……、ひゃあっ!」

 驚いたような声がした気がするけどハサミを止めなかった。耳にかからないように櫛からはみ出る髪を切っていく。

「ねぇ、切り過ぎてない」
「んー、そう?」

 櫛をポケットにしまって、今度は耳を折りたたんで細かくハサミを入れていく。耳の輪っかの上を通り越して後ろの髪も生え際ギリギリに、襟足へつなげるように切り進めていく。

 耳に全く髪がかからなくなったところでハサミをようやく止めた。

「やっぱ耳が出るとすっきりするな」

 正面から彼女を見つめた。右は耳がすっかり出て、左は顎ラインのボブのまま。左右見比べると差は明らかだ。

「髪、ない。……すごく短くない?」

 すっかり出てしまった右耳に触れながら彼女がそんなことを言う。ここには鏡もないからかどこか不満気にも見える。

「暑そうだからな」

 邪魔に見えてきた長く伸びたままの前髪をまとめて掴んで、眉の辺りで無造作にハサミを入れた。

(さて左も……、アレのが楽かな)

 彼女の横を通り抜け、用意した道具からバリカンを手に取った。

◇◇◆◆◇◇

(うわぁ……)

 右耳を触って背筋が粟だった。

(どうしよう……。ヤバいかも)

 髪がなくなっている。ほんのついさっきまであったのに、背中どころか耳にすら触れないくらいになるなんて。

 口元まで覆っていた前髪ももう眉より上みたいで。鏡もないからより不安を掻き立てられる。

「弘毅、鏡見たい」

 背後でガサゴソとなにかしている彼に声をかけた。

「ここに用意してないからなぁ」
「持ってきて欲しい」
「あとでな」

 にべもなく断られた。どうにも気になってつい右のサイドの髪に手が伸びる。何度触っても耳には掛からず短いままだ。

 左サイドの髪がふっと持ち上げられた。

(あ、こっちも切られちゃう……)

 左だけ長いままにもできない。耳出しショートスタイルになった自分なんてまるで想像できないけど、もうそうされるしかないと身を固くした。

 するとヴィーンと聞き覚えのある音が聞こえてきた。その音がだんだんと近く大きくなる。

 そう、さっき洗面所で彼が使っていた――

(まさか……、バリカンっ!!?)

「きゃっ!」

 反射的に音がする方向から顔を背けようとすると、彼の手で頭を押さえられた。

「おっと、じっとしてろ。耳切るぞ」
「そんなことっ……」 

 彼はそのまま私の頭を抱え込むように右へ傾けて、左耳へとバリカンを近づけてきた。

(いや……、いや)

 ザリザリザリッと濁った音が耳元に響いた。バリカンが通ったあとはすっと風が抜けるように涼しい。

(う、うそでしょ……)

 彼は左耳を手で覆って、耳より上にバリカンを滑り込ませてくる。ボトボトと次々に落ちてくる髪の塊にギョッとする。

 そして後頭部をグイッと手で押さえこまれると、今度は襟足からバリカンが入ってくる。

(刈り上げるなんて……)

 そんな気持ちとは裏腹にバリカンは少しずつ登ってきている気さえする。このままだと彼のフェイスタオルで隠されたあの髪型と同じになってしまうかもしれない。

 ザリザリ音を立てて落ちてくる髪がシャツの内側に入ってチクチクと肌を刺す。そんな痛がゆい感触なんかよりも恐怖心が勝る。

(怖い……)

 襟足を行き来していたはずのバリカンは後頭部まで差し掛かって、さらにはさっき短く切った右耳の上の髪すらも刈り取っていく。外は暑かったはずなのに、頭の下半分に風が通り抜けて寒気すら覚えるようだった。

◇◇◆◆◇◇

(だいぶさっぱりしたな)

 サイドは耳にかからないようにもバックは後頭部まで刈り上げたから、かなりすっきりと短くなった。ベランダには足の踏み場をなくすくらい大量の髪が落ちている。

 レジャーシートを敷いても意味はなかったなと、切り落とした彼女の髪を踏んづけながら思った。

(さて、あともうちょっと)

 一旦オフにしたバリカンからアタッチメントを外して再びスイッチを入れた。
 
 バリカンのモーター音を耳にしてから、彼女がこちらへ怪訝そうな顔を向け口を開いた。

「まだ刈るの……? まさか坊主にしないよね?」
「? 言ってる意味分かんないし」

 なんでそんなことを言い出すのか訳が分からなかった。

 耳の手前にバリカンをぴたりと当ててもみあげをすっぱりと無くした。そしてうなじもバリカンを軽く当てただけで最初から髪が生えてなかったみたいに白い肌が剥き出しになった。

(やっぱバリカンは楽だな)

 使い慣れたバリカンを置きハサミに持ち替えた。トップの髪を指で挟んで切り詰めていく。風に靡かないようにでも浮かない程度にすっきり短く。額もすっかり出てシルエットが頭の形そのものになっていく。

「はい、お終い。すっきりしたな」

 そう声をかけて頭をワシワシと撫でた。最初の重かった髪が嘘のようになくなっていた。
 

◇◇◆◆◇◇

「短すぎる……。落ち着かない」

 シャワーで髪を流したあと、ずっと短くなった髪を触っている。

「さっぱりしたじゃん」
「切りすぎだよっ! 明日、何を言われるか……」
「別に堂々としてりゃいいじゃん」

 何を気にしているのか分からないとでも言いたげだ。躊躇いなく坊主にできる人にこの気持ちは理解できないらしい。

 もう二度と彼には髪を切らせまい、そう心に誓った――はずだった。

 しばらくして髪が耳に掛かるようになったころ、髪切ろうかと彼に聞かれて、そうだねと頷く私がいた。

後書き

久しぶりの短編です。
試験的に相互視点にしたのですが、読みづらかったらスミマセン💦
こんな話でも暇つぶしになっていたら嬉しいです。

チラホラお問い合わせをもらいますので改めてまして。
不定期になりますが、まだ断髪小説を書いていくつもりです。
(他にもたくさん断髪小説があるなかでありがたいお話です)
私事で恐縮ですが忌中を過ぎて少しずつ筆を執れるようになりました。
更新した際にはまた読んでやってください。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
また次回作でお会いできましたら幸いです。

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