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断髪小説『行き交う 前編』


あらすじ

円佳は上京したばかりの大学生。ダイレクトメールでとある理容室を知り・・・

小説情報

文字数  :6700文字程度
断髪レベル:★★★★★
キーワード:上京、女子大生、SNS、裏垢
項目の詳細はこちらをご覧下さい。

本文

 部屋の片付けがひと段落して、髪を一つに纏めていたシュシュを外すとふわりと背中に広がった。高校を卒業して上京したばかり、春から大学生だ。実家から持ってきた荷物や家具で簡単にこのワンルームの部屋を埋め尽くしていた。

 東京駅から二つの路線を乗り継いで、降りた駅から十分ほどの歩いた場所にある学生街の変哲のないワンルーム。東京駅に着いてここに辿り着くまでずっと驚きの連続だった。歩く道はどこまでも舗装され高い建物ばかり、そしてどこを歩いても人がいて年齢も服装も髪の色すらも違っている。カエルの声はしないし見慣れた田畑もない、道ですれ違う人のほとんどが知り合いしかいなかった地元とは違い、なに一つ知らないものばかり。それでも不安に感じないのは地元を離れ一人暮らしという自由を得たからかもしれない。

 ベッドを背もたれにして床に座り、スマートフォンを取り出した。習慣で指が自然とSNSを立ち上げタイムラインをスクロールしていく。いまやツールは多岐にわたり、真面目に全てを読み込んでいるわけじゃない。斜め読みしながら時折友人たちの投稿に“いいね”を押す程度だったりする。

 一通りチェックを終えたところで別のアカウント“まる”に切り替えた。本名の関川円佳せきかわまどかを文字ったアカウント名だ。すると画面に表示される話題は一転して髪型を変えた女の子の画像が目立つようになる。最近ではこの“裏垢”のタイムラインを眺めるのにご執心だ。

(うわっ、こんなバッサリ切っちゃう!?)
(えっこの子、肩に付かなくなってるじゃん)
(わわっ、耳まで出しちゃってる)
(うそっ、刈り上げてる!)

 長かった髪からボブやハンサムショート、ベリーショートへと短くしていく女の子たちの画像を眺めるとドキリとする。女の子たちの髪が短くなればなるほど興奮すら覚える。ノーマルだし恋愛対象は女性ではないのに。おかしいと自覚していてもやめられない。

(この人たちみたいに私も髪を切れたらな……)

 憧れにも似た感情が沸き、背中まで伸びた髪を眺めた。かれこれ十数年ずっと変わらない。いつもはゴムで一つにまとめるだけの変哲のないストレートのロングヘアだ。それは決して気に入っているからではなく、ただ無難に過ごすための髪型。地元の田舎というのは人も娯楽も少ないからか、なんでも噂話になる。髪型を変えた日には“どうしちゃったの?”なんて詮索され、ニヤニヤとした好奇の視線を浴びる。地元には昔ながらの理容室しかなく、美容室は街まで出なければならないことがより拍車をかけていたと思う。

 そんな地元を離れ、知る人のいない土地で学生生活が始まる。ずっと想像してきた。上京してから入学式までに髪を切ってしまうことを。そうすれば地元で噂されることもないし、知ることもない。

 まずはお店を探そうとスマートフォンを持ち直し、とりあえずこの近辺の美容室を探すことにした。

(ど、ど、どうしよう〜っ!)

 この辺りは学生街。ヒットした件数は想像以上だ。

(どこに行けばいいのー! てかどこもオシャレすぎっ!)

 よく分からないカタカナばかりのメニューにキレイなお店の内装と可愛い女の子たちのヘアカタログ、私の知る美容室とはかけ離れた光景に圧倒された。

『上京して入学式までに髪切りたいけど、どこもオシャレすぎて行く勇気ない……』

 裏垢のSNSで呟いてみたものの、どこも私には場違いな気がしてならなかった。

✳︎✳︎◇◆◇✳︎✳︎

 一先ずシャワーを浴びてタオルで濡れた髪を拭きながらテーブルに置きっぱなしのスマートフォンを横目で見ると、ロック画面に表示された通知は裏垢のSNSでリプライやDMが送られてきたことを知らせていた。空いている手でスマートフォンを取り操作をすると数人から一言二言の励ましの言葉が並んでいた。

 そんな中、あるDMが目に留まった。シズルという知らないアカウントからで丁寧な文面が物珍しかった。この“裏垢”の世界、妙な詮索を受けたり、写真を所望されたり逆に送られたり、或いは出会い系のような誘いを受けたり、変に絡まれることは珍しくなく身構えもする。

 要約すると都内で理容室をやっているので髪を切りにきませんかという内容だった。『Cross』という店で少人数制の理容室を開業しているらしい。

(あ、ここからそんなに遠くない)

 ここから三駅離れた場所にあった。“理容室”なのは引っかかるけど、好奇心に抗えず返事を送った。何往復かやり取りを続けると不思議と警戒心は薄れ、とんとん拍子に話が進み、明日の夜にお店へ行くことになっていた。

✳︎✳︎◇◆◇✳︎✳︎

――翌日

 夕日が影を長くする時間、お店の近くまで迷うことなく辿り着いていた。けど、どうにもお店に足は向かず周辺をぐるぐると回っていた。

(き、緊張する〜っ!)

 この近辺をもう何周しただろう。お店の外観どころか周辺の地理まで覚えられそうなくらいだ。ビルの一階にあるガラス張りの理容室で降りたブラインドに人影が映っていた。

 約束の時間まであと十分。知らない場所だからと早めに家を出た。中途半端に持て余した時間が心拍数をあげた気がする。時間に余裕なく着いた勢いでお店に入っていればこんなに緊張しなくても済んだことだろう。

(入りづらいっ!)

 扉を開ける勇気が出ないままうろうろと彷徨い遠目にお店を眺めていると、理容室の扉が開き中から人が出てきた。すらっと背の高い男性とたぶん女性の二人。男性が扉を開け、女性と軽く談笑をしていた。やがて女性が軽く手を振って立ち去っていく。男性は店員で女性は客だったようだ。

(女の人も来るんだ……)

 遠目ではっきりと分からなかったけど、キャップ帽を目深に被った髪の短い女性らしかったことに少し緊張も和らいだ。よし、と勇気を振り絞って『Cross』へ足を踏み出した。

✳︎✳︎◇◆◇✳︎✳︎

 カランカランと音を鳴らして、ブラインドの降りたガラス製の扉を押し開いた。

「いらっしゃいませ」

 入り口正面にあるカウンターにいた男の人が迎えてくれる。ふんわり柔らかいパーマのかかった色素の薄い髪に白シャツをさらりと着こなしたすらっと背の高い男性、ついさっきまで店の外にいた人だ。

「あ、あ、あのっ! 私“まる”ですっ」

 正面の男の人は不思議そうに首を傾げてこちらを見据えた。

(しまった……、裏垢の名前で挨拶なんて怪しいじゃん!)

 でもいきなり本名を名乗るのも変だしなんて考えていたら、男の人は“あぁ”と思い出したように口を開いた。

「まるさん、お待ちしていました。荷物を預かりますよ」
「は、はいっ」

 一先ずほっと胸を撫で下ろし、肩にかけていたショルダーバッグに手に取って渡した。ぐるりと店内を見渡すと、壁も床も天井も白を基調とした空間で、入り口横には重厚な黒いイスと洗面台の付いた鏡、正面には木製の道具の置かれた棚とカウンターテーブル、壁には色とりどりの柄のクロスがかけられていて無駄がない。シンプルな構造がより洗練さを増すようで、田舎者の私にはオシャレに見えて目が眩む。

「こちらへどうぞ」

 こくこくと首を縦に振ってギクシャクした動きで黒いイスへと向かった。

「昨日のあんなメッセージじゃ怪しくて緊張もしますよね」

 接客業さながらの気さくな雰囲気で尋ねられても、緊張で、そんなことないと慌てて首を振るしかできなかった。

「一応、改めてシズルです。本名なのでそのまま呼んでください。このお店は始めて三年くらいかな。まるさんみたいな方も慣れていますので、希望があったら遠慮なく言ってくださいね」

 あまりお店で髪を切ったことがないこと、自身の持っている趣向のこと、そして今日はどうしてみたいのかなど、昨日の短いやり取りの中で伝えたことだった。
 
「じゃあ私も円佳って呼んでください」
「まどか、ですか?」
「はい。名前の円の文字からまるにしてるので」
「なるほど。ではまどかさん、早速ですけど今日はどうしますか?」
「あ、はい」

 予め伝えてあるのに敢えて言わせるつもりなのか、シズルさんの顔にはうっすら笑みが浮かんでいる。

「ば、バッサリ切りたい……です。肩の辺りまでバッサリと」

 いざ口にすると本当に髪を切るんだと実感が湧いてくる。さっきからずっとドクドクと心臓がうるさくて仕方ない。
 
「この辺のボブってことかな」
「はい……、ボブにしたいです」

 肩の辺りで髪を摘まれ、こくこくと頷きながら答えた。もっと短く切れたならと思わなくもないが、そんな勇気はない。むしろ今理容室にいること自体、現実じゃないようだ。

「最初だし、このくらいでいいかもしれませんね」

 希望のカットクロスを尋ねられ、壁に掛けられた色とりどりのクロスの柄へ目を向けた。

✳︎✳︎◇◆◇✳︎✳︎

 壁にかけられたカットクロスは無地のものから柄物、キャラクターなどプリントされたものもあった。色違いまで揃えてあるなど、まるでカーテンのショウルームさながらで、袖の有無まで指定できるこだわりぶりである。二枚、三枚と着物の色合わせのように重ねたり、お色直しを希望する人もいると聞き、その奥深さには頭がくらくらする。

 無難に白地の袖付きクロスにしたけど、結局これが一番人気だとシズルさんは肩をすくめながら言っていた。

「じゃあ切りますよ」

 いよいよずっと長かった髪をバッサリ切ってしまうのだとドキドキ半分、ワクワク半分の気分で正面の鏡に映る自分の姿を見つめた。

 櫛でとかし霧吹きで髪を湿らすとサクリと軽い音を立てて髪にハサミが入った。

「――っ!」

 とさっと右後ろの髪が床に落ちていくのが楽しかった。

(わっ、切っちゃったっ!)

 肩より少し下でぷつりと髪が途切れていた。感慨に耽る間もなく、サクリ、サクリと髪が切り落とされていく。ハサミはずっと背中に触れたままで、それより下の髪はないと容易に想像できてしまう。

(どうなっちゃうんだろう)

 髪を切られていることに興奮し始めていた。ハサミの感触にばかり意識が向く。サクリ、サクリとハサミが音を立てるたびに頭が軽くなり、床は髪の山が積み上がっていく。やがて背中を一直線に横断したハサミが離れていき、ひどく寂しい気分にさせられた。

「揃えていくね」

 一言だけ淡々と告げ、櫛とハサミで手際よく切り揃えられていく。時折、肩にシズルさんの大きい手やハサミがぶつかるけど、先程の興奮とは程遠くなぜか急速に冷めていた。

✳︎✳︎◇◆◇✳︎✳︎

「こんな感じだけど、どう?」
 
 首を左右に振り、正面の鏡を眺めた。肩に届くくらいの長さで揃っていた。ボブは童顔をより際立たせるようだ。

(うーん、こんなもの?)

 切ったのは三十センチくらいだろうか。ドキドキもワクワクも最初に期待していたほどの感情もなく、ただ冷静に切ったなと思うだけだった。たぶん思ったより変化がない。髪を結べはいつもの自分と大して変わらないからだろうか。

「こんなものか、って感じです?」
「え――」

 心の内をそのまま見透かしたようなセリフだった。

「バッサリ切ったのに終わると意外と何ともない、そういう人もいたりしますよ」
「確かに、そうかもしれないです」

 髪を手で梳き、もっと切ってみても良かったかもしれない、そんなことを思い始めている。

「がっかりしてます?」
「まさか!」

 ぶんぶんと勢いよく首を横に振った。髪の揺れが軽いのは新鮮だった。

「せっかく理容室に来てくれたから、これから顔剃りと襟剃りをするつもりだけど――」

 シズルさんは柔らかい笑みを浮かべたまま、首にかかる髪を櫛で持ち上げ――

「でもその前にもうちょっと切る? うなじをすっきり出すくらいに」

 その言葉に背中を押されたようで自然に頷いていた。霧吹きで湿った髪に櫛が通っていく。何度も真っ直ぐ引き延ばすように。リップラインで櫛が止まるとその僅か下をハサミが通り抜けていく。シャキンとハサミの刃が重なる音は先程よりも大きく鋭い。五センチほどの髪がポトリとピンク色のネックシャッターに降りかかる。

(ひゃ〜っ!)

 やってみたくても怖くてできなかった長さ、一瞬でゾクリと背中が粟立つ。

(こんなに短いなんて)

 あと二センチも短くしたら耳たぶが見えそうで、ミニボブにしてもちょっと短い。

「この長さはネープの処理もしやすいし、」

 そんなことを言いながら襟足にハサミが入ってくる。少し冷ややかな感触が首筋に触れビクリと肩を竦めた。ハサミは止まることなく、首筋から髪の感触を無くしていく。

「うなじを隠すのはもったいないからね」

 シャキン、シャキンと軽やかな音を響かせながらハサミが頬を掠めていく。

(これは本当に私?)

「あの、これ現実ですよね……?」
「頬でもつねる?」

 シズルさんはくすりと笑いながらハサミを軽快に動かしていた。

「今日、こんなに切るつもりはなかったから」
「最初から短くしてたら人から詮索されないし、やってみたかったんじゃない?」

 鏡に写っているのはリップラインのボブ姿の女の子だ。無難な印象だったロングとはまるで違い、長かった姿を想像するのはもう難しい。しつこく襟足の髪がハサミで切られ、頬が赤く染まるばかりだった。

✳︎✳︎◇◆◇✳︎✳︎

「じゃあ、剃るよ」

 前髪は眉でプツリと整えられた。バサリとカットクロスを外すと私の切った髪が落ち、白い床が黒色で埋まっていく。ボブに切り揃えられた髪をクリップで止め始めた。そして首筋から肩口を少し開けるようにタオルを服に挟み込んで、ほんのり温かい泡を首筋に塗られていく。

「動かないでね」

 敬語だった話し方もいつのまにかタメ口になっていたけど、あまり嫌な感じはしなかった。

 するりと耳の後ろにカミソリが通っていく。優しく撫でられているように。すっ、すっ、と滑らかにカミソリが首筋から肩までを撫でていく。素肌を晒しているようで妙にぞわぞわする。

(なんかえっちぃような――)

 男の人に触られている、ただの襟剃りなのにいやらしい気分にすらなってくる。

「こ、このお店って普段どんな人が来るんですかっ?」

 変な気分を誤魔化したかった。

「うーん、普段は普通に男の人が多いよ。若い子は少ないかな」
「その、私みたいな人も来ますか?」
「もちろん、メールやDMとかで予約をもらってね」

 カミソリは変わらず首筋を滑って心臓もうるさいけど、変な気分も少しは紛れる。
 
「その人たちもバッサリ切ったりしていくんですか?」 
「そうだね。ロングの人とは限らないけどボブとかショートにしたり、ツーブロ的な隠し刈り上げも多いかな。あとは――坊主って人もいるよ」
「女の人でですか?」
「うん、昔より増えているんじゃないかな。坊主女子とか聞くし」

 断髪フェチでも坊主ものは少し苦手でちょっと身震いする。
 
「すごい。女の人のバリカンってどっちも勇気入りそう」
「切られる側はそうかもね。俺は仕事だし、その辺はまあまあ同類だし。ただ散々切ったり切られたりしてたら慣れちゃって、感動も薄いけど」
「慣れるものなんですか?」
「そうみたい。よく分からなくなってきたかな」

 耳たぶまできっちり剃ると、泡のついた首筋やカミソリをタオルで拭っていた。

「あぁ、でも結局は変わってないかも」

 どうやらはぐらかされてしまったらしい。話は終わりとばかりに再びシェービングクリームの入った容器を持ち上げ、刷毛を手にしている。次は顔剃りをするのだろう。

「さて、襟足も剃り上げるね」

(どこを剃るって?)

 聞き間違いかと首を傾げたくなった。襟足にも刷毛でシェービングクリームを塗り始めた。

「ちょっと、ええっ!?」
「ボブのラインは高めだからさ、剃っておくと収まりもいいよ」
「そんなこも言われても」
「刈り上げてもいいけど、もともと生えてなかったみたいにツルツルにしてあげるから」

(ひぇ〜っ!!)

 刈るとか剃るとか、ツルツルとか、耳慣れない言葉ばかりだ。初めて来たお店で剃ることになるなんて、今が人生最大に緊張しているかもしれない。ゾリっと耳の後ろから音が聞こえる。

(ぎゃーー! 本当に剃ってる!)

 ゾリ、ゾリと襟足にカミソリが当たっていた。襟剃りとは違って音が聞こえるようだ。

「だいたい襟足五センチくらい剃っておくね」
(五センチってどんだけ!?)

 少しずつ襟足がなくなって外気に触れている気もする。

「これっ、人に見られたらっ――」
「上の髪で隠してたらバレないんじゃない? 刈り上げならゾリゾリした感じが残るけど、ツルツルに剃り上げて気付くような人は同類だよ」
「そういう問題じゃ……」

 襟足を剃り上げられた。触った感触はつるりとしていて、本当に生えてなかったみたいだった。その後、座ったままシャンプーするのも顔剃りするも初めてのことだったのに、まるで覚えていない。

 帰り際に「またおいで。一ヶ月後くらいにでも」と聞いた気がした。

後書き


後編(有料記事)に続きます。
そちらは文字数多めなのでお暇なときにでも読んでみてください。

この話を書き終える前に元ネタにしたSNSが青い鳥さんから黒いアルファベットになってしまいましたね。
改めて本来のデザインとシステムは安定していて好きだったなぁと実感しております。
収益を追うには変化も必要なんでしょうか・・・

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


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