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見えないものを信じる心を育てる  (幼児)

卒園後、学校で神さまを信じていると言ったら笑われた・・・という悩みを子どもからも保護者からも聞くことがあります。このような時に私は、「みんなは大切なことを秘密にしている時があるでしょう?それと同じように、神さまの話を分かってもらえないと思ったら心の中に大切にしまっておいても大丈夫です。それは悪いことではありませんから安心してくださいね。」とお話しすることがあります。これはよくある話ですから、幼児期にこそ見えないものを信じる心を育てることが大切とも言えます。


では、神さまのように目には見えないけれど、本当にいてくださる・・・という大切な存在があるということをどのように伝えればよいでしょうか?
まず、みえないモノってホントにあるの?ということを園児と一緒に確かめます。例えば、「今先生が弾いたピアノは見えるけど、音は見えたかな?」と訊くと「みえな~い」と返事をします。「そうだね、見えないけどピアノの音はちゃんと聞こえたね。聞こえたからピアノの音に合わせて上手に歌えたんだよね。」と話すと、音は見えなくても実際にあるものだとわかってくれます。
空気は見えなくても息を吸って「ふーっ」と手のひらに吹くと空気を感じられますし、お家の人の心は見えないけれど顔が笑っていたら、お家の人の楽しんでいる心がわかるという話をしてもよいでしょう。


次に、「園庭の大きな木は、土の下にあって見えない木の根っこのお陰で立っていられるし、土の中からもらう水や栄養も葉っぱまで届くから、きっと葉っぱや枝さんは、根っこさんに『ありがとう』と言っているね。」と話した後に、「みんなもお家の人が会社で仕事をする姿は見られなくても、『お仕事してくれてありがとう』って言っているでしょう。」と話すと、父の日や母の日、勤労感謝の日に言った「ありがとう」を思い出す子もいます。

最後に、みんなからは見えないけれど、神さまからはみんなが見えていて、いつも守ってくださることを伝えます。
このようにして、①見えるものと見えないものの違いを考え、見えないものもちゃんと存在することを実感し、②目に見えない神さまや、見えないところで働いてくれている人にも「ありがとう」が言える心を育てるとよいでしょう。それが、想像力・好奇心・視野の広がり・心の柔軟性・正しい謙遜へと発展し、思いやりや優しい心、学びにおいても豊かな姿勢・態度となるでしょう。

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