東田直樹氏が文字盤で話す理由 最終回
前回は、自閉症以外のケースの共通点と私の個人的な経験に基づいた見解を書きました。
そこから考えたのは、
最近流行りの文字盤系FCは、コックリさん+プロンプト(促し)+クレーン現象じゃないかと。
でもこのクレーン現象の部分が解りにくいかと思うので、まず説明します。
クレーン現象と言うと、他人の手を持ってやってもらうイメージになると思いますが、私の経験からすると「亜種」みたいなのがあるんですよ。手に限らないんです。
伝わりますでしょうか?
こういう感じになりやすいんです。
丸投げしてくる系のクレーン。
これがFCの場合は、
何か質問されて答えるタスクが与えられたけれど、自分じゃ答えられないから、介助者の与えるプロンプトと指示に従ってこなせばヨシっと。(そういう訓練されている)
みたいな感じになっているんじゃないかと。
FCに限らないんですよ。うちの子が学校で作ってくる工作なんて90%くらい先生が作った感じになっちゃいますからね。
もちろん学校ではみんな物凄い工夫して、できるだけ本人にやらせようとはしているんです。それでもそうなっちゃうんです。
自分に対してどういう認識なのかも不明です。写真を指差させたりとかも散々やりました。でも自分の写真なのに友達や弟の名前を言ってしまったりします。
で、特に母親の私に対しては、「え?答えないといけないの?あんたは知ってんでしょ?」的な状態になりやすいんです。
ゴメン。テレパシー無いわ。超音波で会話とかも無いわ。笑
いくら自立を目指してABAやっても、根本的なところがこうですからね。これで「ソーシャルストーリー」をいくら聞かせてもどうにもならないんです。それ以前のとこで問題。
でも公立学校はそういうの推してくるでしょ?これが困る。正直、一緒に降参して楽しくやっていく方向にして欲しい。無茶なインクルーシブ教育とか辛いだけ。むしろ視線が痛い。涙
もはや政府と学校と定型発達児の親を満足させるためのイベントにしか見えない。
うちみたいのも全部含めて社会に受け入れて欲しいです。
それがインクルージョンじゃないのかね?
こんなんでず――っと暮らしているとですね。
ええい!面倒だ!もう母ちゃんが全部答えてやる!
ってなる気持ちは、わからなくもないです。笑
東田さんのケースがどうだかはわかりませんが、ここまで来ているFCの人たちのほとんどは、障がいを受け入れてはいるんだと思います。それでも敢えてやっている。
どうしてなんだろう?
想像できるのは、今の世の中、インクルーシブとかダイバーシティーとか聞こえのいい事を言いつつも、重度の障害や病気のある人達を排除していたり、なんだかんだ競争社会、経済優先社会の中で、ケアする家族がボロボロになっているのに、「スペクトラム」の軽度の方と競争させられたり…
もう少し大事にされたい。
そうすれば親は安心して死ねるから。
私もそれなら共通の気持ちがあります。
東田さんの書く文章が、人々を惹きつけたのものはそれだと思います。お母さんの心がこもっているから。だからこそ、ここまで調べたんです。
ただ。
社会にこっちが合わせる必要は無い。
ここを乗り越えてこそ、本物の安心に辿り着ける。
時々、私の書き方が悪くて申し訳ないです。