『モモ』(ミヒャエル・エンデ)
『モモ』は最初のページを一枚めぐると、題名の下に物語のあらましが書かれています。こんなふうに…
時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子の不思議な物語(ミヒャエル・エンデ『モモ』大島かおり訳、岩波書店、1976年、p.7)
この物語は、ある都市の一角にある遺跡の廃墟の場面からはじまります。その廃墟に女の子が住みはじめるのです。女の子の名前は「モモ」(そう、本書の題名になっているのはこの女の子の名前です)。しかし、モモは少しほかの人とことなる見た目をしています。彼女はどんな見た目なのかというと…
…清潔と身だしなみを重んずる人なら、まゆをひそめかねませんでした。彼女は背がひくく、かなりやせっぽっちで、まだ八つぐらいなのか、それとももう十二ぐらいになるのか、けんとうもつきません。うまれてこのかた一度もくしをとおしたことも、はさみを入れたこともなさそうな、くしゃくしゃにもつれたまっ黒な巻き毛をしています。目は大きくて、すばらしくうつくしく、やはりまっ黒です。足もおなじ色です。いつもはだしであるいているからです。……それというのも、モモはどこかで拾うか、人からもらうかしたもの以外には、なんにももっていないからです(同、p.14)。
近所の人たちは、モモを見て心配し、廃墟を直したり、手伝ったりして、モモが住める場所を作ってくれます。ここから、モモと近所の人たちとの友情がはじまります(p.19)。近所の人たちは、モモと話したり食べ物を分かち合ったりすることでだんだんと仲良くなかで、モモが自分たちにとって「なくてはならない存在」になっていることに気づきはじめていきます。「モモのところには、いれかわりたちかわり、みんながたずねて」(同、p.20)来るのです。「いつでもだれかがモモのそばにすわって、なにかいっしょうけんめいに話しこんで」(同、p.20)いるのです。モモはみんなの話をただただ聞きいていました。しかし、彼女に話を聞いてもらっていると、不思議と悩みがほどけたり、失望が希望にかわったり、勇気がわいてきたりしてきます。するといつのまにか、みんな「モモのところに行ってごらん!」が口ぐせになっていったのでした。
この『モモ』では、モモと近所の人たちの日常だけが描かれているだけではありません。『モモ』を読み進めるといつも葉巻をくゆらせながら登場する「灰色の男たち」と呼ばれる不思議な人物たちが出てきます。「灰色の男たちが」やっていることといえば、簡単にいえば時間のせつやくです。時間をせつやくしてどうするのでしょうか。ある場面で「灰色の男」のひとりがモモに次のように言います。
「人生でだいじなことはひとつしかない。」……「それはなにかに成功すること、ひとかどのものになること、たくさんのものを手に入れることだ。ほかの人より成功し、えらくなり、金持ちになった人間には、そのほかのもの——友情だの、愛だの、名誉だの、そんなものはなにもかも、ひとりでに集まってくるものだ。」(同、p.126)
「灰色の男たち」は人々を「友情だの、愛だの、名誉だの、そんなもの」には目もくれず、「時間貯蓄銀行」に時間を貯蓄して、「成功」するために頑張るようにとうながししているというのです。次第に、近所の人たちもこの「灰色の男たち」の価値観の影響を受けていくのです。その中で、モモはこの「灰色の男たち」の話を聞き、自分自身の疑問をなげかけながら、そのどこかおかしい価値観の真相をあばいていきます。果たして「灰色の男たち」の言っていることは本当のことなのでしょうか。モモは賢者マイスター・ホラや、カメのカシオペイアと出会いながら、時間の本当の意味、使い方を学んでいくのですが、それはどのようにしてか…を知りたい人は、ぜひ、『モモ』の最初ページを一枚めくってみてください。その読書はきっと素敵な時間になりますよ。そして、読み終わったあとは、それまでと違う時間の過ごし方ができるかもしれません。