最終章〜稀勢の里の奇跡〜(3216字)

稀勢の里(12勝2敗)と、照ノ富士(13勝1敗)の一番は結びの一番の一つ前に組まれた。

照ノ富士が勝てば、照ノ富士の優勝。

稀勢の里が勝てば、優勝決定戦に。

優勝決定戦での勝者が、優勝。

照ノ富士はとにかく一勝すれば優勝できる。一敗の猶予がある。

一方稀勢の里は2連勝が優勝への道しかない。一敗も許されない。

好角家の間では昨日の結果も踏まえて、照ノ富士有利の声が大半を占めていた。

ただ、「何かが起きて欲しい」という土俵上でしか起こり得ないドラマ性にも期待してしまう。好角家というのはつい力士の背景などまで目線を向けて、取組を見てしまう。

しかしそれを期待するには昨日の稀勢の里の負け方はあまりにも力の無さを感じてしまう。

照ノ富士の膝の状態も心配されるが、それを感じさせずに13勝を積み上げた力、やはり現状では稀勢の里を上回っていると言っていいだろう。

稀勢の里が本割で勝つ確率は20%。

稀勢の里が優勝決定戦で勝つ確率は更に20%。

つまり、稀勢の里が優勝する確率は20%かける20%で、4%。

単純な計算で勝敗が決まるわけではないことは百も承知だが、それほど厳しい道である事に変わりはないと思われた。

いざ本割に臨む両者。

両膝・両肘にサポーターを巻いた照ノ富士、左肩にテーピングを巻いた稀勢の里。

固唾を呑む観客、立ち合いに全視線が注がれる。

立行司式守伊之助の軍配が返る、、、

ふわっとした立ち合いに両者がぶつかる、稀勢の里は右へ動きながら、照ノ富士は稀勢の里の懐に両手を差す形に。。

「まだまだ!」

手つき不十分により伊之助によって止められる。

ざわつく場内。

怪我した左でなく、右で上手を取ろうとしていくように見えた稀勢の里。やはり左は十分でない、使えないのだ、そう言った不安の声がざわつきに変わったのか。

そして2度目の立ち合い。

この瞬間に両者の頭はお互いの立ち合いの読み合いに入っていただろう。

伊之助の軍配が返る。。

稀勢の里は1度目とは逆の左へ動きながら照ノ富士をかわして突き落としを狙う。

照ノ富士は1度目同様、腰高の稀勢の里の前ミツを両手で差しにいく動き。

稀勢の里は迫る照ノ富士の勢いをなんとかかわそうとする。

やがて両者が廻しをとる。照ノ富士は右前ミツをがっしりと、稀勢の里は体をひねりながら、左で更にその下手で照ノ富士の廻しを取る。

左へ回転しながら、稀勢の里はかいなを返して左で上手を取ろうとする動き、それに合わせて照ノ富士が前へ出る。

この形は稀勢の里が日馬富士に敗れた形に近い。上手を取ろうと伸びきった腰では前へ出る力が出ずに、相手に押し切られる。

観客も「やはり無理か。。」と思えた。

しかし、稀勢の里は照ノ富士の前へ出る力を巧みにいなしながら、更に土俵際で左回りの動き。

照ノ富士の前へ出る力が稀勢の里の回転力によって、下へと変わる。

あとはその力の方向性を右手で後押しするだけ。

突き落とし。

稀勢の里が勝った。

観客は沸きに沸いた。

稀勢の里の勝利により、星は13勝2敗で並び2年ぶりの幕内優勝決定戦へと持ち越された。

怪我の影響は確かにある、怪我をしているからこそあの相撲になったのだろう。自分の力を抑えながら、相手の力を利用しての勝利。

更に特筆すべきは足がよく動いていた事にあったと思う。

相手に押し切られる力士の姿を何度も見てきたが、押し切られるということは相手が前へ出てくるスピードについていけない為に前kてしまうことが多い。

その逆に押し切ろうとすつ相手を出し抜くには、その速さよりも素早い動きで相手をコントロール下に置かなければならない。

逆に照ノ富士は稀勢の里の動きについていけなかった。

膝の影響もあったかもしれないが、結果として負けてしまったことはそういうことなのだ。

薄氷の勝利を得た稀勢の里。

優勝決定戦ではどのような相撲になるのか。

優勝決定戦、勝った方が優勝。

11場所ぶりの賜杯を手にするか、照ノ富士。

2場所連続、22年ぶりの新横綱優勝となるか稀勢の里。

立ち合い、再び突っかける照ノ富士。

緊張による固さが出たゆえの行為なのか、作戦なのかわからない。

2度目の立ち合い。

両手を下手に入れて双差しを狙う照ノ富士。

懐の深い稀勢の里は右手で首を抱えて投げようとする。

13日目の日馬富士戦を彷彿とさせる立ち合いである。

このままではあの日の再現ように、稀勢の里が敗れる姿が見えた。

土俵際に追い詰める照ノ富士、しかし本割のように稀勢の里の足はしっかりと動いていた。

左足を軸に左へ回転しながら、右手を照ノ富士の左手に巻きつける。

照ノ富士は前に押し出そうとするが、稀勢の里の浮いた右足で左足を抑えられて前に出られない。

更に体を開いて、右の小手投げを打ちながら右足で照ノ富士の足を跳ね上げる稀勢の里。

192cmの照ノ富士の体が半回転しながら宙に浮く。

投げを打った稀勢の里も勢いで土俵際に叩きつけられ、更に土俵下まで転がる。

伊之助の軍配が素早く東稀勢の里に上がる。

【稀勢の里の奇跡】と銘打った章だが、果たしてこの勝利を「奇跡」と呼んで良いのか?

「奇跡=常識では起こるとは考えられないような、不思議な出来事。」

客観的に見れば怪我人が優勝を果たした劇的勝利に見える。

しかし、故障はここまで相撲を続けている力士ならばどこかしら抱えている。照ノ富士も抱えていた。

しかし今場所の優勝は「奇跡」と讃えられた。

本人たちはどう考えているのか。

優勝インタビューの最後、稀勢の里は

「(略)何か見えない力を感じた15日間でした。」

と語っている。

それは様々な運命的なこと、自分の力の及ばない部分で感じることがあったからだろう。

場所途中まで全勝街道を共に歩んだ弟弟子の高安の存在。

照ノ富士と優勝決定戦に持ち込んだのは、その高安がつけた黒星一つだった。

そして二人が長く師事していたのが先代鳴戸(隆の里)親方。

かつて新横綱として全勝優勝を勝ち取ったほどの名力士である。

その存在も稀勢の里にとって大きかったであろう。

怪我をしたのは自分の弱さであると思いながらも、土俵上で自身のできる限りのことをした結果掴んだ優勝。

決して自分一人で勝ち取った優勝ではない、そういう意味だったのかも知れない。

22年ぶり新横綱による優勝が決定した。

かつて22年前に新横綱として優勝した力士は、貴乃花光司である。

13年前に貴乃花に次ぐ年少記録で新入幕を果たした若者が、時を経て再びかの名横綱に並ぶ記録を手に入れた。

記録などはあくまで表立っての数字や形式的なものでしかないが、ファンはそこにドラマを求める。

その方がより相撲を楽しめるから。

稀勢の里は相撲を楽しませてくれ続けている。

少なくとも私は彼の登場で楽しめている。

もちろん苦しめられることも多いが、その苦しみを解消するほどの快挙を残す稀勢の里はファンにとって麻薬でしかない。

日本人贔屓やモンゴル人差別といった問題が顕著に現れることも稀勢の里の周りでは起きやすい。

私が思うのは大相撲協会やマスコミには常に公平であり続けて欲しいと思う。

ファンが贔屓の力士を応援するのはどうしようもない。

肩入れをしたところで、昇進するわけではないのだ。

本人が土俵で結果を出すしかないのだから。

そしてその結果を公平に判断・評価するのが大相撲協会や横綱審議委員会であり、その評価を監視するのがファンでありマスコミである。

今場所はおそらく後世に語り継がれる名勝負となった。

しかし私はこれが稀勢の里のハイライトにならないことを切に願う。

30歳の横綱昇進は遅いだろう。

しかし未だに最強として君臨する白鵬、今場所真っ向から土をつけられらた日馬富士、そして鶴竜。

さらには優勝を争った照ノ富士、関脇まで落ちたがライバルには変わりない琴奨菊。

同世代との激しい優勝争いを今後も続けて欲しい。

そして相撲界を牽引する存在として、後進の指導にもその力を伝えていって欲しい。

一相撲ファンとして、今場所の稀勢の里の相撲を讃えたい。

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