えーあいなんとか学園 第一話

「ハァ、ハァ…」
少女は走る。ただ一方を向いて走る。
「ここでっ…諦めたら…きっと…!」

 注目、礼。そして新しい担任はこう話す。
「今日からあなたたちの担任になりました、佐藤智花です。えー、あなたたちは今日から遂に六年生なので…」
この先は、聞いていなかった。この椎名ここなという少女は、今年の担任奇麗だなとか、でも名前が普通過ぎるとか、そんなことばかり考えているのである。
ホームルームも終わりが近づくと、隣の席の人との交流タイムが与えられた。ここなは転校生であるにもかかわらず、特にこれといった紹介をされることはなかった。今年は学校の新しい試み、ヴァーチャルコミュニティと一人一つのAI配布で転校生が多かったためである。少々不服ながらも、机を向かい合わせ、目線を上げる。
「ここなちゃん、よろしくね、相田健だよ!」
眼鏡の男の子が言う。少し前から有名SFアニメを見始めたここなは、「すけ」が欲しいと思った。あまり仲良くなれなさそう、そんな気がしたここなはふと目線をやや右に向ける。すると、自分の席から右に三つ、前に一つ進んだ席に、ここなの何倍も不機嫌な顔をした少女が目に入る。その少女の瞳の虚ろさ、ピンと伸びた背筋、上品な欠伸の全てがここなを魅了した。桃色の髪は毎日丁寧にトリートメントをし、毛先から時間をかけて梳いているに違いないし、服は髪より薄いサーモンピンクの、ふんだんにフリルをあしらったロリータファッション。いったい、一着であたしの服が何着買えるんだ!
「ここなちゃん、聞いてる?」
相田君の言葉でハッとした。「ごめん、よろしくね!」そう言ったところで担任が終了の合図をする。もう帰りのあいさつをするところだ。
 起立、注目、さようなら。ここなは慌てて荷物をランドセルに詰める。あのピンク髪の少女はそそくさと教室を後にしてしまった。名前を聞きに行かなくちゃ!ここなは走る。ポスターの「ろうかははしらないでね」なんて目に入らなかった。そしてしばらくして、皆様お待ちかねの冒頭のセリフである。そしてどうにか追いつくと、言った。
「あたし、椎名ここな!今日教室で見て、めっちゃ可愛いと思って、絶対仲良くなりたいの!あたしバカだけど、友達は大事にするから!あと、えっと…絶対、絶対に、幸せにするから!だからあたしと、友達になってください!」
ここなは必死だった。彼女の中で初恋のようなときめきと、この絶好の機会を逃したら少女の目に自分がただの転校生…あるいはモブキャラになってしまうことを恐れ、どんな手を使おうとも少女が自分のほうを向くことだけを望む野生のまなざしが溶け合い、流行りの機械歌姫の早口ボーカルに合わせて脈を打っていた。
「あなた、きっと私のことを外見でしか見ていないんでしょう、いいえ、確実にそうよ。こうやって変わった服装の私を品定めするべく話しかけてきた転校生はあなたで5人目よ。」
 少女は、出しゃばらないが存在感のある薄紅の唇だけを動かして言う。ここなは、自分の思いが少女の言うように空気の如く軽いわけではないという、ふわふわしながらも揺るぎない自信があったのだが、それを言葉に表すすべを知らなかった。
「何も言わないのね、じゃあ帰るわ。」
少女は、先ほどよりも少しだけ眉をひそめて、後ろを向き再びそそくさと歩く。
「…待って、違う!なんか、絶対に違うの…!」
ここなはそう叫ぶが、少女は決して振り向かず小さくなって、非力なここなはを置いて消えた。月曜日の昼過ぎのことだった。

「おはよう!昨日はごめんね、でもあきらめる気は無いから!」
 桃髪の少女の日課の一つである朝早く登校しての読書、それを始めようとするとここなが待ち構えていて言った。少女は思う、昨日の絶望は忘れたのか?そんな疑問は無視してお気に入りの小説を開く。自作のブックカバー付きだ。貰い物ゆえに少し古びて独特なにおいがするが、その点こそがお気に入りの理由だった。
「本読むの?なんて本?あたし本は漫画かラノベしか読めないんだよね。この前読んだ漫画がさぁ…」
 人が本を読んでいるというのに、ここなというやつはどれだけ長いこと話しかけ、少女はどれほど耳をふさぎたいと思っただろう。授業以外はずっと話しかけてくるので、少女ははじめて授業にありがたみを感じていた。火曜日だった。
 水曜日、ここなは話しかけ続けた。業間と昼休みは図書室までついて行った。少女の反応は変わらない。木曜日、今日もたくさんの一方的おしゃべりをした。少女は慣れてきたのか、これまでよりページをめくるスピードが早い気がした。金曜日、例の如く朝早くから少女に話しかけるここな。
「いつも何読んでるの?」
「ノノ」
少女はついに一言返したのであった。
「本の名前は、カタカナのノノ。私の名前はひらがなの、のの。」
 ここなは歓喜した、目こそ合わせてくれなかったものの、これは、富士山くらい大きな一歩だと。鼓動も足取りもスキップになるここなは、これまで以上に楽し気な一人語りを披露した。結局、今日話してくれたのはこの時だけだったし、今週の奇行ですっかり孤立したものの、満足げなここなだった。

 土日は母や、しょっちゅう家に来る三十路の男ゆっきーに今週の出来事を話して、幸せに浸り過ごした。そして月曜日、いつも通り誰よりも早く学校に行き、少女…ののを待った。この待ち時間はせいぜい20分だが、ここなには永遠のよう。そんな退屈な時間も、今日のここなにとってはかえって幸福が膨らんでゆく時間だった。
「おはよう、ののちゃん!!そのワンピース好きだー、なんか、夜!星!っていう感じ!」
ののは、クラスで三番目に早く登校してきた。今日もまた何も返してはくれないのだが、一瞬頬をわずかにほころばせ、こちらを向こうとしたのを、ここなは見逃さなかった。続けて話し出すが、それ以上表情の変化はなかった。
「放課後、時間あるかしら」
 話しかけたのは、ののからだった。ここなは、三秒ほど、何を言われたか把握できなかった。だが、その言葉を理解すると、目を月あかりのように輝かせ、言う。
「もちろん!どこ行く?スタボ?プリ撮る?あたしの家もいいよ!」
ここなのテンションは大気圏を超えた。しかし、ののは落ち着いて告げる。
「放課後になったら話すわ。それまでは、おねがい、話しかけないで。」
そう言うと、ののは本の中へ意識を沈めた。ここなは焦る。「話しかけないで」ということは、つまり放課後に何か悪いことが知らせられるに違いなかったからだ。一日中、授業は頭に入らない。黒板は普段よりもいっそう黒々とし、晴れ渡る空は、こじ開けた目を刺激する針にしか感じられなかった。本当なら給食当番なのだが、ここなの死んだ魚の目を見た担任は、しぶしぶほかの生徒に代わらせた。そうして何とか放課後を迎えると、ののはここなの前に立ち言った。
「ついてきて。」
 ここなはおびえながらも、ののが言う通り後ろをついて歩いた。15分ほど、沈黙の中を歩いたところで、民家にしては大きめの、やや古びた西洋風の建物の前にたどり着いた。
「着いたわ。さあ、上がって。」
未だ絶望の淵で直立しているここなに、ののは言う。「お邪魔します」と一言、指示の通り中へ入ると、まず靴箱が目に入る。十足、十五足ほど入りそうな木目調の艶めく靴箱の上にはアンティーク雑貨が並べられている。そして、目の前にはここなの家には存在しない、学校にしかないと思っていた廊下という空間があった。ののはすぐ右のドアを開けて一言、ただいまと言った。中では四人掛けのテーブルセット、右にソファと大型テレビが設置してあり、さらに奥はハイスペックそうなパソコンが置いてある。横長の部屋だけで、ここなの家がすっぽり収まってしまう広さだ。
「おかえり」
左から声がして、そちらを向くと、この部屋がキッチンまで備えていることが分かった、そして母親にしては若すぎる、大学生くらいのお上品でやや暗い印象の女性が二人を出迎えた。ここなは、家に連れてくるなんて、もしやソショウとか、サイバンとかが待っているんじゃないかと震え上がる。なお、ここなは訴訟の意味を理解してはいないし、裁判について知っているのは「静粛に!」といいながら木槌を叩くことくらいである。
「あら、そちらはお友達?」
若い女が言う。
「ええ、日向さん、あれを。」
 ののが返した言葉に、女もここなも口を大きく開けた。
「遂に友達を連れてきてくれたのね、のの、おめでとう!」
そう言って日向はそそくさとキッチンに戻り、何か取り出している。ここなは混乱しながら、問いかける。
「待って、怒ってるんじゃないの?あたしをソショウするんじゃないのね、本当に?」
ののは、心底不思議だという顔をして言う。
「怒る?どうして?一週間も懲りずに話しかけてくるなんてあなたが初めてよ。さあ、アップルパイが出てくるわ。早く食べなくちゃ、私が食べるわよ?」
 全く訳も分からないのだが、促されるままに席に着くここな。目の前には高そうなアップルパイと、ののと日向の微笑みが華やいでいた。

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