サロンメンバーの自己紹介(5)
なぜ、みんなが幸せに生きられないのか
なぜ、誰も命を脅かされることなくのびのびと生きることができる世界にならないのか
なぜ、自殺や殺人や戦争や暴力がなくならないのか
なぜ、理不尽に傷つけられ苦しむ人が救われないのか
なぜ、多くの人が何かに追われ人と競争し不信を抱えて生きているのか
なぜ、多くの人はこれらの問いから逃げるようにして生きているのか
なぜ、受験勉強はこれらの問いに直接に向き合わせてくれないのか
私は本当に、今、受験勉強をするしかないのだろうか
こんな激しくもやもやした思いをもって高校までを過ごし、去年の4月に、東北大に来ました。そして、サロンのビラをもらい、
学問と社会をつなぐ
社会問題を“深く”考える
格差、貧困、原発、沖縄、憲法、紛争、外国人・・・
これらの言葉に惹かれ、説明会、学習会に参加し、サロンで勉強することにしました。
数学ができないから経済はわからない
大人よりも、何の責任もない子どもが優先
日本を変えられるかもしれないけど世界は変えるのは難しい
気候変動は大きすぎる問題だから手をつけられない
サロンで勉強を始めて、私は、「なぜ」という問いから逃げることに怒りながら、すべての人の幸せを願いながら、こんなふうに諦めていたということに気付かされました。
また、活動を続けながら、社会に対する「なぜ」とともにある、ある種のもやもやが、どんどん思考を内向きにすることを感じてきました。自分を責めることから始まり、次々に問題を切り捨てていき、
自分には力がないから一人でも多くの人のためになれたらいい
周りの人を幸せにすることすら難しいのに社会を変えるなんてできない
というところまで諦めてしまうのだと思います。
一人一票ずつ投票する以外に政治が変わる方法を考える
先進国が途上国を搾取してきた歴史を分析する
「人権」がどのように生まれてきたのかを顧みる
市場の原理に依らない経済のしくみを実現することを考える
社会のシステムや構造を分析し、変えようとするこれらの発想は、私自身や個人や市民の思考や社会に与える力の限界を勝手に定めていたときにはすんなりとは受け入れられなかったものです。目の前の人の苦しみを取り除くことや自分が住む地域の課題を解決することに満足してその活動がより多くの人や他の地域やより広い社会にとってどのような意味をもつのかを考えないということは、見えない人を見捨てることになります。視野の狭い活動がより大きな社会全体の問題の解決を妨げたり他の人々や地域に悪く影響することになったりするということもあります。災害時や貧困支援におけるボランティアの活動が助け合いの精神を強調する国を批判しないと、人々の生活の保障を怠る国の姿勢を追認することになってしまうのが一例です。
理不尽に苦しみながら待っている人、絶望しかけている人、死んでいる人
誰一人諦めないということは、この世界を支配している大きなものの変革を諦めないということ
これが、私がサロンの活動で学んだことの中で一番重要なことかなと思っています。
そして、どこまでも諦められないのは、何もしなければ自分自身が苦しみや絶望や死に加担する側に立つことになるから、どうにかしたいと強く思うから、苦しみをよく聴いているからというだけではないと思っています。人と話すことで、自分にない視点やより深い理解をもつ人の話を聞くことで、新しい理解や気づきを得て思考を進めることができます。社会の構造や問題について広く深く勉強し、活動する中で、個別のものに見えていた問題がつながり、どうしたらいいのかということが少しずつ見えてきます。新しく考えるべきことも次々に増えていくけれど、常に一番いいと思う解決策を探しながら、少しずつ前に進む気がします。
とても残念ですが、こんなふうに「本当に諦めない」学びには、私は大学の講義ではまだ出会ったことがありません。
お金を持っていない人から死んでいく、気候危機でみんなが死にゆこうとしている今の世界を乗り越えて、もっと調和のとれたみんなが幸せに生きることができる世界を作るために、「本当に諦めない」人を増やし、つながりたいと思います。
知りたい、どうにかしたいという思いだけで大丈夫です。
いっしょに勉強し、考え、行動する人が増えてほしいなと思います。
教育学部2年
もやもやはりねずみ