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父について思う事2
他の人が父親について「尊敬している」とか「好き」とか書いているのを見ると私はいつも混乱する。それはいったいどんな気持ちなのだろうか、、、、、私は本当に父が嫌いでしょうがない。「何がそこまで嫌いなのか?」と言われると一言で答えるのはなかなか難しい。結局は自分の足りなさみたいなものと向き合わなければならないからかもしれない。
自分が親になればわかるの?
「自分が親になったらわかるようになる。」
こう言う人もいるけれど、私は自分が親になったからこそ、父がより嫌いになった。確かに父は不幸な生まれだったようだが、いつまでそれを言い訳にしてよいのだろう。それは自分の家庭を持った時ではないだろうか。
3度も結婚したらしい父はそういう意味では最終的に大人になりきれていないのだろうが、いわゆる毒親とも違う。私にとっていまだに意味のわからない存在である事に違いはない。
話がいつも自分に戻る
父は自分では話上手だと思っているらしいが、話していて他人に興味が無い事がわかる、もちろん私にも。どんな話をしても「わしは~~」につなげて終わる。「わしは~~」につながらない話は全て「わからない」で終わる。全てこれ。
うちの嫁が「すごいですね~」なんて言おうものなら、上機嫌になってペラペラとしゃべり出す。私はこれが昔から嫌いだった。中学生くらいの時だったと思うが、そういう話を一切聞くのをやめた。意識してどころか、昔の自慢話や武勇伝を始めた瞬間に「そういう話はやめてほしい」と言って席を立った。
嫁は「ちょっと話を聞くくらいいいじゃない」みたいな言い方をするが、いつでも一方的に話されるだけで、私の言っている事など耳を傾けようともしない人間の話なんて聞く理由が無い。親戚の集まりでも、飲み屋でも、麻雀仲間ともそんな感じだったと思う。家族でない人間なら「話が面白いおじさん」ですむのかもしれないが、みんなのお世辞に上機嫌になっている父を見るのが吐き気がするくらい嫌いだった。私以外の人間が、そんな父の話を嫌そうにするわけでもなく聞いているのを見るのも嫌いだった。
下の息子は牛乳と卵のアレルギーなので、父がお土産で買ってくるものが食べられない事があった。私は土産など欲しくもなかったけれど、「買ってきてくれるなら卵と乳が入ってないものをお土産屋さんに聞いて、それを買ってきてほしい」と頼んだ事がある。しかし「わしにはようわからん」と言われてしまう。「え?卵と乳が入ってないものをお土産屋さんに聞いて、それを買ってくるだけでしょ?」と聞いても「わしにはようわからん」が返ってくるのだ。しまいには「芋けんぴにはほとんど卵と乳が使われない」という事がわかるや、芋けんぴだけ買ってくるようになった。
私が小さいころからいつもいつも「わしは初めて行った飲み屋で、知らない人とでもおしゃべりできるんだ」みたいな事を言っていたのだけれど、「言う」だけで会話は成立していなかったんだろうなと思う。
自分の事以外は考えられない人
母が亡くなり、足がうまく動かなくなってから、父は隣のおばさんにゴミ出しを頼んでいた。私はそのお隣さんとの関係がよくわからなかったし、まだ完全に外に出られないわけではないのである程度は自分でやっているものと思っていた。しかし、退院して私たちが家の整理をするようになってからは距離を取るようになったのか「来てくれなくなっちゃったんだよ」と言った。「今度、新しく入居した人に頼もうかな」とも言った。
いや、待て待て。「誰が、どんな理由で、お前のゴミ出しの仕事を引き受けなければならないんだ?」と聞くと「何かあったら言ってください、って言ってたんだよ。」と答える。
頭が痛くなってきた。これが何十年も生きた人間の考え方か?その人の負担を考えた事はあるのか?(ゴミ出しは市で行っているボランティアにちかいサービスがあるので、そちらを頼みました。くわしくはこちらへ)
そもそも父は祖母の老後も面倒を見ていない。そりゃあ、私の学費すらろくに払えないんだから、そんな事が出来る甲斐性も無いけれど、それを三男にすべてまかせていた。そもそも私の面倒も見ていなかった。私の事をやってくれたのは、いつも母だった。
この人は誰の世話もしていないからわからないのだろうか、、、
いや、そんなの気づくだろう、普通なら、、、、
つまり、「自分の事以外は考えられない人」なんだろうな
さらに言えば「自分の責任を受け止める事が出来ない人」でもある
追記:そういうえば、母がステージ4の癌で一時帰宅した時に、「ソラマメのスープを作ってあげたい」と言っていたのを思い出した。普段は全ての料理を母にやらせていたので珍しい事だった。すりつぶすための機械も買ったたが、結局すぐに病院に戻っていった。
その時だけやるのではなく、退職して時間もあり、調理師免許も持っているのであれば、なぜもっと作ってあげようとしなかったのだろう?夫婦の気持ちは他人にはわからない、子供でもわからない。でも、それでも私はもっと違う事を普段からしてあげるべきだったと思う。
尊敬出来ない父を持つ事
これは私にとって、現在進行形でとても悲しい事実だ。
父は母をどこか旅行に誘おうとして「母さんはお金がもったいないから”行こうとしない”んだ」とも言っていた。行こうとしないのではなく、行ける状態にない(老後のお金が必要だから)から行かないという事もわからない。
それでも母は自分は旅行に行かず、父だけをいつも送り出して少ない余力から旅行に行かせていた。今まで寺社仏閣に対して興味もなかったくせに、いきなりお伊勢さんだの48か所巡りだのに行き始め、母の死後はそれがエスカレートして貯金を使いつぶして旅行に行きまくった。「北は北海道から南は沖縄まで行ってきた」と言う時の父は自慢げな顔をして、皆から「すごいですね」と言われるのを待っている。私は決してそれを言わないようにしているが、嫁も息子も「すごいですね」と言ってしまう。それを聞いて照れくさそうな顔をするのだ。
悲しい人間だな、、、、と思う。
人として尊敬出来るところが一つもない。お前は何を守り、何を築いたんだ?誰を助けて、誰を幸せにしたんだ?
私は彼とこういう事を話す時間も無い事を受け入れ始めている。そもそも会話をした事が無いのだし。
私は強くもないし、だらしない人間だけれど、息子たちにこのように思われながら死にたくはない。父は「俺は好きに生きてきた」と言っているので、なんの後悔も無いのだろう。
「(早く死んでくれればいいのに)、、、、」
私はそれを言いそうになりながら今日も生きている。