コロナ対策について
下の記事を読んで、本当にその通りだと思った。1年も何をやっていたんだろう?
私はコロナ前に、なんだかんだ言ってオリンピックが自国で開催されるのを楽しみにしていた。でも今はまったく応援する気になれない。
「アスリートがかわいそう」「開催されて金メダルを取れば感動するはず」という意見もあるけど、明らかに不要不急のスポーツ大会で数万人を入国させておいて、飲食店は時短営業して酒も出すななんておかしすぎる。
なんのために我慢させられてるのだろう?
誰を守ろうとしているんだろう?
協力とは?
この記事は意図的に書かれているらしいけど、時間があったら「医療に協力したら何が返ってくるの」で検索してみると、いろいろな意見が見れるはず。
そんで、結局のところ結論は長生きしないはずの人が、すぐに死なないだけなんじゃないか?
私の実家は居酒屋をやっていた過去がある。そんで潰れました。1000万近い借金を抱えて。父は商才も資金も無い人間で、失敗すべく失敗したからしょうがないと思う(飲酒取り締まりが厳しくなったのは影響したけど)。
でも、こんな意味不明な時短営業で潰れて借金背負って生きていかなきゃいけない人の事を考えると胸が痛い。どうせ数年で死ぬ老人の事よりも胸が痛い。
ブーマーリムーバー
海外ではコロナの事をブーマーリムーバーと呼ぶ人もいる。ベビーブームのころに生まれた高齢者を一掃してくれるという意味です。これを言う若者世代の気持ちもわかる。社会的に倫理観を失っていくのは良い事ではないけれど、内心そう思ってる人の気持ちは理解できる。
老人が死ぬより、労働人口世代が社会的に殺されるほうが重大な問題だ。
こんな風に書いているのも見かけた。
それは高齢者を守るため、医療を守るためではない。「誰もが安心して暮らせる社会」を守るためだと思います。明日、死ぬかもしれない・・そんな不安や恐怖を感じることなく、毎日が暮らせること。これは、自由に生きたい!と思う以前の前提条件ではないでしょうか。
はっきり言って、おためごかしにしか聞こえない。平常時はこういう気持ちでいたい、でも今は戦時だと思わないと未来が死ぬよ。実際に去年の新卒の就職はかなり厳しかったはず。今の大学生も払った学費に見合った授業になっていないだろう。これから先、何十年も生きていかなければならないのに。
本当に守るべきは若い世代、特に学校に通っている世代だ。間違いない。彼らの未来が救われるのであれば、長生きしなそうな高齢者の死者が例年の死亡超過を少し上回ったっていい。何十倍も増えたらさすがにまずいけれど、その時こそ国が主導してロックダウンするべき。自衛の為に高齢者の生活が制限されてもいい。そう思ってしまう私はおかしいのだろうか、、、、?
公平性を大きく欠いた政策
吉村知事、小池都知事は決断せずに締め付ける方に進んだ。決断を批判されるのがよほど怖いのだろう。
どこかの老人が死ぬより、自分が借金まみれになったり、従業員が路頭に迷わない方を選択する人を、どうして批判出来るんだろう?自分が経営者でもそうする。でも問題はそこではなくて、その制限があきらかに公平ではない事なんだ。
居酒屋をターゲットにする前に、スシロー行ってみたらいい。めっちゃ混んでるから!みんなめっちゃしゃべってるから!!!普通のレストランよりもっと客同士の位置が近いから!なんでこれが許されてんねん。
一蘭なんて、推奨次世代営業形態として好きなだけ営業させたっていい。
一定期間すべての飲食店がテイクアウトのみになるなら理解はできる。そこはしょうがないから新しい世代に向けて、公平な競争に参加するしかない。でも今の時短、提供物の制限は著しく公平性を欠いている。
医療体制がひっ迫する理由
医師会に何も言えない政治家なんていらん。厚労省の官僚も自分の懐しか考えてない。
少なくとも菅総理に対応できるとは思えないけれど、自民以外の選択肢が立憲や共産みたいなのしかいないのは、本当に不幸だ。
1年あったのに、世界的も優秀な病床数なのに「さざ波」程度の増加で崩壊するくらいならすればいい。中途半端な犠牲を若い世代に出すなら、全世代に手痛いダメージが出た方がマシなんじゃないかとさえ思える。そしたらみんなもっと考えるようになるだろうから。
そういう意味で、オリンピックは中止するというか、この国は開催する資格が無いと思っている。
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