氷河期世代新聞奨学生
挑戦してよかったタグで書いてみます。
「挑戦」というとニュアンスが変わってしまうかもしれないですが、「これをやる!」と決めた事が人生で3回ほどありますのでそれについて。
家を出る
高校3年あたりで将来の事を考えなければいけない時期に実家の経済状態が非常に芳しくない状態だった。
1993年当時、バブルは崩壊したはずなのに世の中は全然悲壮感が無かった。そこそこの進学校に進んだ私だったが、この年代は非常に人数が多くて進学希望者も全国的に多くかなり頑張らなければ良い大学には入れなかった。
さらに進学費用も期待出来ないとなるとまったくもってやる気になれず、入学時は上位の成績も3年のころには下位20%くらいになってしまった。
今思えばそこで地方公務員にでもなっていればその後の20年を貧乏で暮らす事もなく、そこそこの生活が送れていたかもしれない。そう、1993年はまだ氷河期は来ていないのだ。だから「とりあえず大学さえ行けばなんとかなる。」みたいなお気楽な時期だった。
とりあえず現役合格は無理。予備校に行きたいが金は無い。そこで見つけたが新聞奨学生のチラシだ。どこで見たのかはもう覚えていない。しかしここなら新聞を配って集金すれば学校に通えるとわかったので夏に説明会を聞きに行ってもうその場で決めてしまった。予想通り大学に全て落ちて浪人が確定したので予備校に通う事になった。
いや、違う。「通える」ことになった。
ここで決断した事が自分自身の最初の「挑戦」だったかもしれない。そもそも大して苦労して勉強しないでもそこそこの成績だったので、何かに挑んだ覚えもない。しかし、私は自分自身で「決断」して家を飛び出た。
私の人生の初の挑戦は「家を出る」でした。
専売所
新聞の事なんて何も知らないが、とりあえず専売所に布団を一式送って決められた日付にそこに行った。その専売所に行った時に迎えてくれた女の子に一目ぼれしてしまって、まあいろいろ紆余曲折あって今の嫁さんになっている。それだけでも「挑戦してよかった」って事になるか?(笑)そしたらもうこの話は終わってしまうのだけどもうすこし続けます。
入所した時には
お金を貯めながら予備校に通い、勉強して、大学に合格する。そのお金をもとに入学金を払い、実家に戻ってアルバイトしながら大学に通う
こういう計画だった。
ところが、今まで一人っ子だった自分は同じくらいの年齢の人たちと寮の中でワイワイ過ごすのが楽しすぎて、全然勉強なんてしなかった。
さらに給料がもらえるので好きに遊べる金が毎月まとまって入ってくるのである。私はそのほとんどを格闘ゲームに使った。毎日毎日ゲーセンに通い、楽しくて楽しくて仕方なかった。予備校なんて最初の1か月しか通っていない。
金も貯まらず成績も上がらず、というか模試すら受けてないのだから上がっていないかどうかわからないけれど、勉強していないんだから上がっているわけがない。
さすがにこれで合格できるわけはないのでレベルを下げて、2部の大学を受ける事にした。どうせ大学なんて名前だけなんだから一番つぶれなさそうな大学を選んだ。結果的にその大学はつぶれてはいないが、毎年毎年不祥事を起こし物議を醸す大学として有名になったが、それもまたネタになるので良しとしよう。
人生万事、塞翁がネタ
遊びまくっていたのを見ていた寮の仲間は信じられない顔をしていたが、私は何も勉強せずに2部の大学に合格した。イエーイ!これで大学生だ!w
大学時代
金も貯まっていないし、新聞奨学生の出してくれる学費は60万円以下なら後で返してくれるという事なので、私はその専売所で奨学生を続けながら大学生になった。
今度こそ心を入れ替えて勉強しようと思っていたが、法律の授業は全然面白くなくて、絶対に出席しなければ単位がもらえない授業以外は一切出なかった。そもそもゼミも入らなくて良いのだから、なんとかうまく卒業して肩書だけゲットしようとしか考えていなかった。(最終的に1年留年したw)
体育の授業で一緒になった人に音楽サークルに誘われて加入した後はもうバンド以外の事を全然やってない。暇なので学校は配達が終わってから毎日通った。授業は出ないで友達とずっと駄弁るだけ、毎週のサークル活動とバンドの練習、ギターの練習、ただただそれだけの5年間。
今考えるとそれは人生で有意義な時間だったのかもしれない。しょうがないよね、だって1999年にはノストラダムスで世界滅びるわけだし。頑張ってもしょうがないじゃん。
でも滅ばなかった、当たり前だけど。2000年問題も発生しなかった。マガジンミステリー調査団、何やってたんだよ。
卒業が近くなるにつれ氷河期の様相はひどくなり、ちゃんと1部に入学して真面目に授業を受けた先輩がファミレスの店員しか内定をもらえないような事態を目の当たりにしていた。靴流通センターとかもあったな。大卒の肩書はMARCH以下は意味の無いものになった。
あ、これ無理だわw
授業も出てない、資格も取ってない俺が勝てるゲームではない。
もうそこからは完全に切り替えて「卒業だけしよう。卒業したら家に帰ってバイトしながらインドに行こう。」となって、今まで以上にバンド活動を頑張っていた。
だが、実家が消えてしまった。自営業が倒産して親が住み込みで働き始めたので帰る家が無くなってしまったのだ。なかなか人生思ったようにならないものだ。
しょうがないから卒業してからもフリーターで路上警備員をしながら働いて暮らしていた。何も積み上げる事なく過ごしてきた人間の末路ですね。
人は1か月しのげるお金が無くなると、もう選択肢というものが無くなります。ちゃんとしたところに勤めれば良かったのでしょうが、ちゃんとした会社は(今は違うようですが)最初の給料は働き始めて1が月、長ければ2か月半くらいしないともらえないのです。それをしのげるお金が無かった。病気にでもなれば終わり。ケガしても終わり。
かと言って地道に貯金できる性格でもなく、スロットにハマって貯金なんて一切できなかった。
あ、詰んでる?俺の人生詰んでない?
そう思って過ごしていた。
そこで今の嫁さんが妊娠した。ちょっと訳あって妊娠する事は無いと言われていたので驚いてしまったが、嫁さんはせっかく出来た子供なので育てると言う。妊娠しないと言っていた結果だったので、俺の意思は関係ない。一人で育てる覚悟だ、と。
そう言われて結婚することになった。これが「無職、無職歴のアホ二人が子供を育てる」という2番目の挑戦。
詰んでると思ってた人生だったけど、結婚祝いを両方の親から50万ずつもらった。家賃は3万円のアパートだったので最初の2か月くらいずっとPSのみんなのゴルフやって過ごしたw
就職
結婚当初は派遣だったがやはりこれではいかんと気づき、就職することを目指した。この時の年齢はなんと驚きの二人とも26ちゃいw
氷河期も間氷期になってきたとは言え、まだまだ求人は元に戻っていない。そして俺は車の免許も無い(自動二輪は持っていた)。職歴も無い。しかし俺は気づいたのだ。
「手に職をつけてスーパーエンジニアになる!なんのエンジニアかは未定!(重ねて言うが26歳ですw)」
こんなやつを雇うバカな会社(バカはお前だろw)があるもんかと思うかもしれませんがあるんですよ。
家族経営のかな~~~~~~りブラックな会社でしたけど、ちゃんと技術は学べました。非常にニッチな技術ですが、そこで7年間必死に学んで、最後の4年間にはその会社に発生する全ての技術的問題に責任を取るような役職になりました。そう、ブラック会社は人材が乏しいのでちょっと有能なだけで全て任せてもらえます(笑)。
とんとん拍子で出世した私は中古の家も買い、まあこんな人生も悪くないかと思ってた矢先にやってきました
リーマンショック!
これはダメージがデカかった。経済が死んだ。本当に死んでた。客先の工場言ったら、工場長が外にバイトに出てる。
給料もどんどん減る。そしてボーナスなんて「何それおいしいの?」ってなってしまった。
このままいくと破産してしまう、、、、、となった時に
「転職するか!」
初めて勤めた会社だったし、労働環境や給料はブラックだったけど人間関係も悪くなかったし、何よりこんなしょーもない人生送ってきた自分には、ここですら贅沢だと思っていたのですが、背に腹は代えられません。食っていけないなら働き続けてもしょうがない。
そして3番目の挑戦「英語出来ないけど、外資系の会社に行ってみる」が始まります。
外資の日本ローカル会社へ転職
同じ業界の他の会社へツテを頼って転職してみた。自分なんて大した技術でもないと思っていたのだけれど、必死に一つの会社で発生する全ての技術的問題に関わって来た結果、私はそこそこ出来るエンジニアになっていたのです。
開発元へは英語でメールも書かなきゃならないし、なんなら海外で研修とかカンファレンスとかあって海外に行かされる事もありました。ものすごい苦労したし今でも英語は苦手ですが、頑張った事は無駄では無かったようです。
苦労は買ってでもしろと言いますが、私は「詰みあがらない苦労」はやらないに越したことはないと思います。努力は必ず報われるわけではないけれど、自分の中に積みあがっていくものがあれば、いつかそれが役に立つことはあると信じています。
その転職した会社は大きな会社に買収されて、大きなグローバル会社で勤務するという良い経験になりました。まあ、また転職してまた買収されてしまいグチャグチャな経歴になってしまってますけど、ようやく自分と同じ世代での平均年収を越えるようになりました。
挑戦しなかったら 家を出なかったら
高校の卒業時に進学をあきらめて地方公務員になった奴がいたんだけど、うちの学校はそこそこ頭良かったし素行が悪くなければ93年だったら自分でも入れた気がします。そこで家を出なかった時の事を考える事があります。
どうなっていたかな?楽しく生きていただろうか?結婚できただろうか?
でも親の自営業の借金とか助けなきゃいけなかったかもしれない。そう考えたら家を出たことは正解だったはず。
今となっては答えはわかりませんが、家を出た事は後悔はしていないです。「挑戦」は必ずしも良い結果が出るかわかりません。でも他人から言われるのではなく、ちゃんとその挑戦が「自分事」になっていれば納得は出来るのではないかと思う。