自己実現の欺瞞

第2次世界大戦も終わり、ベトナム戦争も終わりかけ、ジョンレノンが「Imagine」を歌ってボブディランが「風に吹かれて」を歌っている頃、世界的な厭戦気分もあり、「国家なんかより個人の方が大事じゃね?」と世界は気づいた。米ソ冷戦も終わりベルリンの壁が壊されソ連が解体した頃には人々は自分たちの周辺で戦争が起こらないだろうと思い自由を謳歌し始めた。

いかに「自分の欲求が満たされるか?」
自己実現論、(マズローの)欲求段階説、欲求5段階説に沿って言えばこの5段階に分かれているらしい。
1.生理的欲求 (Physiological needs)
2.安全の欲求 (Safety needs)
3.社会的欲求と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)
4.承認(尊重)の欲求 (Esteem)
5.自己実現の欲求 (Self-actualization)

1に関しては生物としては無くならないので戦争中にもあった。戦争が終わり2が満たされた。戦いではなく働く場所、家庭を築く事で3が満たされ、金持ちになれば4が満たされる。

そして最後の自己実現の欲求として「自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものになる」事が一番の目的になっていった。私達もそれが一番だと思っていた。

しかし、子育ても終わってよくよく考えてみると、自分なんて一人では何も出来ないし
出来たところでどうでもいい
という事がわかるようになってきてしまった。

たくさん金を稼ぐのも良い、たくさんの女を抱くのも良いかもしれない。でも結局は「生まれてきた事がすでに素晴らしい事である」と信じ、伝えていく事でしか人間は最終的な満足は出来ないのではないかと思う。

どれだけ稼いでも死ぬときは同じ。どれだけ贅沢しても死ぬときは同じ。
それだったら、きちんと自分の周りに人がいるような人生を送り、その人たちに見送られながら死んでいければ、だいたい100点なんだと思う。

いつからこの社会をハックして、チートして、金を稼いでFIREする事が一番の目的になってしまったんだろう。結局は資本主義社会の限界にきているのかもしれない。最終的に資本主義社会は少しの大成功者と奴隷労働者とフリーライダーのバランスが崩れて、中間の奴隷労働者がいなくなったら成り立たなくなる。次の奴隷労働者が産まれて来なくても同じだ。

各国の出生率を見るともうすぐその限界が来ていると思う。

奴隷労働者たちの成り上がりとしてこの自己実現は効いた。もっと輝く自分、素敵な自分を演出する為に消費の方法がどんどん開発され、その欲求で奴隷労働者たちはブーストかけて働いてきた。でも本当にその先に何も無いんじゃないか?幸せなんてすでに自分の身の回り5mの範囲にあるんじゃないか?という考えも出てきている気がする。

女のキラキラ競走

結局資本主義の神様は「貨幣」になってしまったので、これをいくら持っているかが価値になってしまった感はある。
そして「戦わなくてもよくなった世界」で「戦わなくても主張できる層」が暴れまわっている。
男は年収を上げて、女は貨幣以外の重要な価値である「女の価値」の競走を加速させて「もっと戦わなくてすむ」ようにInstagramやTikTok でキラキラ競走してる層が何割かいる。

男はそこまででもないのだが、女性の承認欲求の中で大きな割合を「周りからの羨望」が重要らしい。自己実現のようで「自己」では足りないのだ。
つまり自分だけで満足する事は出来ないのであれば、原因を他に探し他責思考になっていきやすい。

「女競争」に参加してたほど女は本当に地雷化しやすい。特に本来よりも盛りに盛って1軍化した女は危ない。
あと盛らないとギリギリ1軍入り出来ないくらいで婚活市場に入って来たのもかなり危険度が高い。綺麗なのに婚活市場に来る時点で地雷の可能性が高い。
それよりも恋愛よりも自分の趣味を楽しんで他の女との競争をしていない在野の女を探した方がいい。Xで何年かつぶやいている内容を見れば、その人がだいたいどんなことを考えているかわかるし、「テキスト(言語)コミュニケーション」に長けていて感情優位じゃない人が多いので、InstagramよりはXみたいなところで見つけた方が良いと思う。

本人が良いというならそれでも良いのですが、必ず加齢とともに価値が落ちるし、何よりハイスぺ男に都合よく使われてそこで得た承認欲求が本当に自分を幸せにするとは限らないという事は理解した方が良いと思う。

では「幸せ」とはなんなのか?

衆生本来仏なり

先日母の13回忌で住職も言っていたのだけれど、

衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の他に仏なし

つまり、人間はみんな仏様で、水と氷みたいなもんで、水がなかったら氷も無いし、人間以外に仏様はいない(自分の中にいるんだよ)って事らしい。

「なんだ、人間はすでに一通りの答えを見つけてるんだ」と、これを聞いてちょっと笑ってしまった。

実現すべき「自己」なんて無い。そもそもそんなものは本当に自分を幸せにしてくれたりしない。芸能人みたいな真似したって、いつかは消えてなくなってしまう。

そう考えると「子育て」は育てる自分を鼓舞させて、成長に喜びを感じ、次々と自動的に発生するイベントに翻弄されながら約20年を過ごさせてくれる超絶コスパの良い趣味だと思う。

そしてそれが私にとって終了しそうな時期ですが、達成感みたいなものよりも、「その頑張って子育てしてるその道中に幸せがあった」なと感じます。夢中になって他のことなんて考えてる暇もないその時こそ本当の喜びがあり、その結果が今後も続いていくという事実が、自分の人生の中で成しえた数少ない、けれど個人的な偉業になるのだと思う。

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