[ソウル暮らしのおと]“ミョヌラギ”からみる家族の不均衡な役割
今日は、ちょっと気が早いですが、秋夕(チュソク)にまつわるこんな話を取り上げてみたいと思います。
中秋節ともいう、旧暦8月15日の秋夕。今年は10月1日です。
韓国では9月30日から秋夕の連休が始まり、例年この時期になると田舎に帰省したり旅行に出掛けたりする、いわゆる“民族大移動”が始まります。
…ですが、今年の秋夕はかなり違った様子になりそうです。
韓国政府の防疫当局は「今年の秋夕は、移動を自制して自宅で過ごしてほしい」と呼びかけています。
例年なら本家に家族親戚が集まり、大量の料理をつくってお供えし、祖先のお墓参りをするのが習わしですが、
「都市部から地方に人が大量に移動すること」、「人が出入りして食事すること」によってふたたび新型コロナが拡散することを憂慮し、秋夕には実家訪問も控えてほしい、ということ。お墓参りもオンラインで、というサービスが出ているほどです。
ところが。
このような政府の呼びかけを、実は歓迎しているのは、主に女性たち。なぜでしょうか。
名節、親戚の集まりというと、私はいつも思い出すシーンがあります。
日本の実家では秋夕の習慣はありませんでしたが、私が子どもの頃まで、チェサ(祭祀)という祖先を祭る法事は毎年行っていました。
父は8人兄弟の4番目で親戚も多く、一番上の伯父の家にみんなで集まります。
ところが、私は物心がついた頃から、疑問に思っていたことがありました。
「なんでいつもお母さんや叔母さんたちだけが料理をして、叔父さんたちは座ってばかりで『おい、ビール!』なんて言えるんだろう」
「なんでいつも女の人たちだけで、別の部屋で食事するんだろう」
韓国に暮らして、自分が結婚してからだけでなく、ドラマや人の話を通じて、女性たちの「秋夕ブルー」や「正月ブルー」というものがよりハッキリと理解できるようになりました。
家族のなかでの役割、とくに秋夕や正月など行事における男女の不平等な役割について、もう世の中はかなり以前から疑問を投げかけています。
そんな中、2017年からインスタグラムなどで連載された「ミョヌラギ」というウェブトゥーン(漫画)が、大きな反響を呼びました。
https://www.facebook.com/min4rin/ (「ミョヌラギ」Facebook)
ミョヌリというのは「嫁」のことですが、この「ミョヌラギ」とは、なんでしょうか?
主人公のミン・サリンは新婚の女性で、夫の両親に「良い嫁」と思われるよう、けなげに頑張っています。
お母さんの誕生日には張り切って朝からわかめスープとおかずを作ったり、実家に着けば自らすすんで台所に立ったり。
ところが、家族の行事を経るごとに、サリンはだんだん疑問を抱くようになります。
働く女性であるサリンが海外出張に出る、という話をすると、義母さんからは、
「新妻が1週間も家を空けるなんて! 旦那さんのごはんはどうするの。行けないって言ったらどう?」
などと言われ、驚くサリン。でも、夫のクヨンには「母さんは深い意味で言ったんじゃないよ、気にするなよ」と軽く流されます。
そして、チェサやお正月のエピソード。
夫の実家に着くとすぐに、台所に立って料理に追われる自分や他の「嫁」と、居間に直行してくつろいでテレビを見ている男性陣を見て、もやもやが募るサリン。
さらには、夫の妹婿が来たときも、自然な成り行きでサリンが彼の食事を用意するよう指示されます。同じく「結婚した相手の実家にきた者同士」の自分と妹婿の扱いの違いに、感情が爆発します。
もともと自分の意志がはっきりしていて行動的なサリンは、こうした「当たり前の習慣」に疑問を持ち、もやもやを抱えながらも、夫の実家では何も言えずにいる自分が情けなくなります。
このように、「良い嫁」「良いミョヌリ」であろうとして頑張ってしまう時期のことを、思春期や倦怠期のようにミョヌラギ(期)と呼ぶんだよ、というエピソードが出てきます。
そう、「ミョヌラギ」とは、この漫画の作者の造語なのです。
この漫画では、サリンだけではなく、お義母さん、長男の嫁、夫の妹など、それぞれが抱える立場や感情も描かれています。
よくある「嫁いびり」の話などではなく、ごく普通の家庭の素朴なエピソードが淡々と描かれるのですが、
読者からは「これはまさに私の話!」という共感が集まり、インスタグラムで42万人、フェイスブックで22万人がフォロー。その後、単行本にもなりました。
それだけ、家族のありかたの不均衡さをまさに的確に表現してくれた、という評価だったのでしょう。
話を戻して、今月末に迎える秋夕。
昨年9月には女性家族部が「家族みんなが平等で幸せなチュソクを過ごそう」キャンペーンを打ち出しました。
今年はむしろ非対面を勧めるくらいなので、このような話題はあまり注目されていませんが…。
でも、せっかく家族が集まる日が、だれかにとっては避けたい日となってしまっている事実は、残念なことだと思いませんか。
今はますます一緒に過ごせる時間が貴重になってくる時代。
家族「みんな」が「平等に」気持ちよく集まれるよう、古い家族のしきたりや不平等な役割を見直さなければならないと、私は思います。
[KBS World Radio「土曜ステーション」2020.09.12放送]
http://world.kbs.co.kr/service/program_main.htm?lang=j&procode=one