「藤一色」と「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を観て考えたこと
1.藤一色の公演を見に行った
京アニ製作『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の9話を観たあと、私は下北沢のOFF・OFFシアターに向かった。
以前共演した藤束遊一さん所属の劇団「藤一色」第十二色公演『紙は人に染まらない』を観るためだ。ヴァイオレットの真似をしてブラウスの胸元にリボンを垂らしブローチを付けてみた。へへへへ。
開演。
舞台美術の美しさや場面の使い方が滑らかで、これぞ理想の転換!というような感じ(感想下手くそすぎてスミマセン)。
演劇に詳しい人がもっと良い感じの感想をツイートしてくれているので舞台の感想はそちらをご覧ください。
では私は『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を9話まで観たあと『紙は人に染まらない』を観劇して、衝撃を受けたことや、電車内も食事中もずっと反芻して噛み締め続けている、自分の考えのようなものを綴ろうと思います。
2.『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の話
(すごくどうでもいい話だが、私は感情を持たないアンドロイドが出てくる話が大好物だ。曲とかもめっちゃ好き。
・labo/flumpool
・不死鳥/SEKAI NO OWARI
・ODDS&ENDS/ryo(supercell)
未聴の方はぜひ聴いてほしい。全体的にアンドロイドと人間が出てくる曲だ。良いと思った方は友達になってください。人外でも全然友達になる)
話を戻そう。
自動手記人形の仕事を始めて少し経った頃、ヴァイオレットは街中でギルベルトの兄に出会う。
ギルベルトの兄は、捨てられていた少女ヴァイオレットを「武器」としてギルベルトにプレゼントするような非道な人間で、ヴァイオレットのことを「ギルベルトの犬」と称していた。
戦後、自動手記人形の仕事をしていることを知ったギルベルトの兄はヴァイオレットにこんな言葉を放つ。
「多くの命を奪ったその手で、人を結ぶ手紙を書くのか?」
ヴァイオレットは、ギルベルトの兄のそのひと言で、自分が戦時中してきたことに対する罪の重さを知ることになる。
3.『紙は人に染まらない』の話
[ネタバレ含みます!]
田中。田中は役所の人間で、召集令状(赤紙)を村人の家に配達する仕事をしている。
村人の多くは、大切な家族を戦場に送り込む立場の田中を憎む気持ちがあるだろう。
ただ、その憎しみの矛先を彼に向けてもどうしようもないことも、友人や母だけでなくきっと村人誰もが知っている。
彼の本当の辛さは、彼しかわからない。
田中と同じ赤紙配達員の仕事をしている者は、全国で300人ほどいるという。
家族から青年を奪い戦地に送る、家族の恨みを買う配達の仕事も日に日に罪悪感を抱かなくなったと告白し、
赤紙を届け受け取った者と同じように自分も兵士を志願すると田中は上司に伝えた。上司は彼を宥めるでもなく、仕方がないんだとばかりにこう言い放った。
「代わりの者は幾らでもいるし、代わりの者などいない」
その言葉は、田中の胸にあった「赦されたい」という気持ちを容易く粉々にした。
彼は、釣り場で会う友人や召令前に自ら軍に志願した少年に比べて、酷く不器用に見えた。
自分や上司、国、ましてや冷たく罵る村人も、誰ひとり悪くないとわかりつつ、村で自分ひとりきりの境遇に耐えられないほど麻痺した自分の心のことを彼は何もわかっていなかった。
上司は彼の青さに付け入り、彼の心に消えない傷を刻みつけたのだ。
4.サバイバーズ・ギルトと現代
私たちは、戦争を経験していない世代です。アニメや演劇など、作品を通して初めて戦争の中にあった人々の生活や心を知ることが多いかな。
私は、人が死ぬことが悲しいことだと思えなかったのです。私には正しい感情が備わってないのかと悩んだことも。
違う。
生を全うした人の死は悲しくないこともあるだろう(それは個人の感じ方にもよる)。
ただ、戦争で人が死ぬのは別だ。理不尽に大切な人やものを奪われることへの怒りや憎しみなんだ。
人はいつか死ぬから、じゃない。今死ぬことを望んでなかった死をもたらすことに大きな憤りや深い悲しみを、感じることなんだと。
戦争が身近である、と感じながら日々生きるのは現代ではなかなか難しいことです。ただ、世界ではいまも戦争が起こっていて、日本でも事故や震災などで自分だけが生き残ったことへの罪悪感を抱えている人が沢山いる。
私はそれらに対するアクションをなにもできない。ただ、そのことを知っているだけでも、何も行動に移せなかったとしても、それでいいんだと今は思います。
どうか、周りの強い力による影響で取った行動で自分を罰することをしないでほしい。
あなたが本当の自由を得たとき、あなたの意志で選んだ未来に、誇りを持って進んで行けますように。
※両作品の内容や表記に誤りがある可能性があります。何卒ご了承ください。