自分のこと徒然その6ーすっかり大人になってもやっぱり音楽と無縁では暮らせませんでしたー
こんばんは!
緊急事態宣言、延長されることになったみたいですね。
今年はかつてなかったようなゴールデンウィークになりそうです。
ステイホームも長く続くと、時々倦怠感や、変化を求めたくなる気持ちを覚えるけど、何事も前向きにとらえたいです。今まで「当たり前」、「普通」、と思っていたさまざまな日常の過ごし方を見直すチャンスでもありますね。本当に大切なことって何か、とか、自分にとって本当に大切な人って誰で、今どんなふうに関わることがベターで、望ましいのか、とか・・。
いろいろ考えるきっかけにもなっています。
さて、続きに行きたいと思います。
すっかり大人になり、牧師の妻という立場、4人の子どもの母親という立場を持って、日々を生きるようになった私。主な生活の場は家庭。
日常的な活動といえば、家事、子育て、週2回程度の家庭教師のアルバイト、夫が牧会(ぼっかいと読む。クリスチャン界では、牧師が日曜日や週日に、聖書のお話をしたり、お祈りのつどいを導いたり、信徒さんたちとグループやら個別やらで相談に乗ったり、一緒にお祈りをしたり、といった営み全体をこう呼ぶ。)する教会でのちょっとした雑用、地域の子どもたちへのアウト―リーチや、教会学校のコーディネートなどだった。
前の記事にも書いたとおり、クリスチャンというのは、全般に音楽が好きだ。教会に音楽は欠かせない。
私自身、今そう信じているのだけど、音楽というのは、最初に創造主である神によって造られたのだと思う。そして、それは本来、私たち被造物が、愛をもって我々を形作ってくれた神を思って、感謝と賛美を表現するために使うのに最適のツールだとも思っている。
なので、やっぱり私は相変わらず、ツンデレな感じながら音楽とは、つかず離れずな距離で関わっていた。なにせ、それなりに歌が歌えたり、多少ピアノが弾けたりするので、重宝される場面に出くわすことも少なからずあったのだ。
夫もギターを少し弾けるので、野外でのイベントで「みんなで賛美を何曲か歌おう」となると、夫がギターを弾き、私がみんなで歌うのをリードするとか。教会学校のクリスマスの出し物で、子どもたちがコーラスやミュージカルをやるというので、その指導をするとか。
そんなふうに、なんとなく環境に音楽があるので、うちの子どもたちもやはり、自然と音楽が好きになっていった。長男、長女と上から順に、ギターやピアノに関心を持つようになり、習わせるようにもなった。家族で歌ったり演奏したりすることもあった。
しかし、決定的な転機は今から20年ほど前に訪れた。一人の人との出会いが、私の人生にとって、とても大きな変化のきっかけになったのだ。
そのころ、夫婦でユニットを組んで活動していたクリスチャンミュージシャンがいたのだが、彼らは当時のクリスチャン界ではかなりの影響力を持っていた。そして、夫が、当時継続的に参加していたクリスチャン向けの宿泊研修セミナーで、その夫婦と知り合いになった。それがきっかけで、私も彼らと知り合うようになり、特に奥さんのほうとは、その後2年間にわたって、熱い、深い、友情を育むこととなる。彼女のことはここでは「ピリカ」と呼ぶことにする。諸処の事情があって、ここでは彼らの実名を出すことはしないほうがいいので・・・。
彼らと初めに知り合ったのは夫で、ある時のそのセミナーで、2人から彼らのデビューCDをプレゼントしてもらって帰ってきた。私はそのジャケットを見て、当時の真面目くさった面白味のないクリスチャン達(ごめんなさい!)のCDとは一味違う、ちょっとポップでおしゃれな感じに興味を持って、早速聴いてみた。
そして衝撃を受けた。
何にそんなに、というのは未だ上手く言葉にできない。
ただただ、「今まで聴いたことのある日本のクリスチャンミュージックとは違う」とだけは強烈に感じたこと、そして、ほとんどの女性シンガーの歌を聴くと、自動的にどこかで「ライバル心」のような(笑ってください、ずぶの素人なのになんで、と思われても仕方ない、私の内側だけでの現実でした)、批判精神のようなざわつきが起こるのに、どういうわけかピリカの歌には、シンプルな憧れ、賞賛、そして何か不思議な共感みたいなものだけを感じ、ネガティブに批判したりジャッジしたりする思いがまったく湧いてこなかったことだけは確かなこととして記憶している。
それから、毎日のように擦り切れるほど(CDは擦り切れないが)繰り返しそのCDを聴きながら、なぜか心の中で「私、絶対この人と友達になる」という決心ではない、確信のようなものを固めていった。
そして半年ほどの後、それは現実になるのだった。