自分のこと徒然その13ーようやく音楽との関係が回復し、平安と喜びを取り戻すことができましたー
こんにちは!めちゃくちゃおひさしぶりです。せっかくフォローしてくださった方々にも忘れ去られてしまっていそうなさりままです。最後に記事を更新した日から、気がつくと1年半が過ぎ去っていました。この間も「濃すぎる日々」過ごしていましたが、今年の春には、なんと、とうとう還暦を迎えました!
実はこれを機に、いろいろ思いを新たにしまして(遠くないいつか、これも書き留めたいです)それもあってこの記事を更新する決意(笑)をしたところです。まずは「自分のこと徒然―音楽と私―」シリーズを切りのいいところまで書き上げたいと思っています。お付き合いくださると感謝!
当初は何気なく、自己紹介の続きくらいの気もちで、本当に「徒然なるままに」書き始めた「自分のこと徒然」のシリーズ、その12まで書いていました。
今回はこの記事で予告していた通り、このあと「どのようにして親と、そして神と関係を回復させられ、成長することができたか」そして「どうやってこの痛みから解放されて自由を得たか」について書いてみたいと思います。
解放されないジレンマ
音楽と再会し、もう一度仲良くなろうとするなかで、さまざまな葛藤を経験し、とても辛くなった。「音楽が好きであっても才能がないのでそれをやる資格がないのでは」という不安。「人前で演奏したり歌ったりすると、またダメ出しされバカにされるのでは」という恐れ。「それでも環境が環境だったから、平均よりは音楽的な賜物や技量があるのでは」というくだらないプライド。「でもこの歳まで技術を磨くようなことを何もしてこなかったから、ちゃんと取り組んできた人にはかなわない」というコンプレックス。
当時の私は「このような相矛盾する混乱した感情に苦しむのは、親と環境のせいだ」と、逆恨みのような気持ちを抱いて、それを自分ではどう処理していいかわからなかった。そして「この家に生まれなければ、この親に育てられていなければ、こんな苦しみにあうことはなかっただろう」という親に対する苦々しい思いに囚われ、一歩も先に進めないような気持ちになっていた。何をしていてもー特に音楽的な活動をしようとするたびにー自分の過去と「こだわり」にがんじがらめにされているような気分。「自由になりたい。」「解放されたい。」心からそう願った。
過去と訣別し神にある真理を選び取る
どんな時系列だったのかについては、詳細を覚えてはいない。だが、ただただ「自由に」なりたくて、神に祈り求め、周りの師と呼べる人々や友人たちの経験を聞いた。そうしてわかったきたのが「変えられない過去を悔やむのをやめて、現実をありのまま愛おしみ、受け入れる」ことがポイントだということだった。
「この歳まで音楽を遠ざけ、向き合って来ようとしなかったのは、結局自分の選択だった」と受け入れること。「親が完全ではないという事実を改めて認めた今、それでも、時に彼らの指導に従ったのも、時に反抗心を抱いて逆らったのも、自らが選び取ったことだった」と認めること。そして、「このような人生の歩みを良しとされ、すべてを益と変えることのできる方=イエス・キリストの神に、今のこの私がそのままで良しとされ愛されている」ことを信頼すること。そして「たとえ万人が私の歌を否定したり笑ったりしたとしても、この神さまは私の歌を絶賛して喜び、受け取ってくれる」ことを知ること。
長い年月信じてきた嘘を嘘と認めて告白して手放し、このような、愛である神さまから出る真理の方を選び、そこに立つことによって、自分がより解放され、自由になってゆけることを経験し始めた。
そうしてだんだん「音楽をこんなに好きになれたのも、今程度であっても音楽の素養を持てているのも、実際のところ生まれ育った環境のおかげだ。」と感謝できるようになった。「大好きな音楽に前向きに取り組むことに誰にはばかる必要もないどころか、なかにはそれを喜んだり励ましたりしてくれる人達もいる。」という事実に気づき始めた。「私が神に向かって賛美する時、神を思って歌う時、神ご自身が喜んでくださる」ということを信じ、喜べるようになった。同時に「私の歌を通して慰められたり励まされたりする人々が、たとえわずかであっても存在する」という事実に驚かされ、素直に喜べるようになった。気づかされたことに基づいて「神がデザインしてくれた本来の自分」に戻りたいという願いが生まれた。少しずつではあるが「プロ並みに上手くやれなければ人前で歌ったり演奏したりする資格はない」という、いつの間にか自分のなかに構築された厳しい基準から解放され始めた。
次なるステージに前進
人生って不思議なものだ。このような気づきと、自分の内側の変革に伴って、音楽へのこだわりや妙な焦燥感がなくなっていった。そしてちょうどそういうタイミングに並行して、このプロセスにはなくてはならない存在だったピリカとの交友関係に距離を置くことになり(ケンカしたり関係が悪化したりしたわけではない)、我が家は4人の子どもたちをホームスクーリングで育てるように導かれて行った。高校1年生から小学1年生の4人の子どもたちを家で面倒を見、一緒に勉強し、朝から晩まで共に生活する、となると、もはや音楽にかまけている時間などないだろう、と当初は思った。そして明確に「主よ、これをあなたに委ねます。あなたの足元に置きます」と祈った。一般的な言葉で言えば「潔くあきらめた」に近いかもしれない。でも、ただあきらめたのとは違った。癒やされた私として、この音楽という領域においても神と共に歩むということがどういうことか、神様に任せて導いてもらおう、という平安な気持ちだった。こうして私の「音楽との関係」は次のステージに進むことができたのだった。
P.S. やっとここまで書けた~!
今回の見出し画像には、happy_echium96 さんの元気いっぱいなお花たちの写真をお借りしました!