自分のこと徒然その8―眠っていた音楽への思いがうごめき出しました―
今年の特殊なGWもそろそろ終わろうとしてますね。わがままですが、この自粛生活にちょっとばかり嫌気がさしてきちゃいました。
が、ここは踏ん張りどころ! 苦しんでる人たち、不安を抱えている人たちのことを思いながら、きょうの午後は、前庭の整備に燃えました。
幸い、今住んでいる所は本当に田舎なので、戸外に出て新鮮な空気を吸ってリフレッシュするのはまったく問題ありません。
きのうは雨で、体調がイマイチでした。それで廃人みたいに1日だらだら暮らしちゃったので、きょうは気合いを入れて働いた!
なので「自分にご褒美」ってことで、我が家の里子ちゃんと連れ立って、夕飯は久しぶりに100均寿司を食べに出かけちゃいました。うん、満足、満足!
さて、では続きの話を進めたいと思います。
そのセミナーから帰宅して、「楽しかったなあ。ピリカさんとまた会いたいなあ。」などと思っていると、数日後になんと、ピリカその人から電話がかかってきた! 親しみのあるその声。
「もしもし、ゆっくり話してみたいな、と思っていたので連絡してみたの。今度、遊びに行ってもいいかしら?」
断る理由は微塵もなかった。どぎまぎしながら二つ返事でOKし、日程をすり合わせて会う約束をした。
初めて個人的に会ったその日、私たちは次から次へといろんな話をし、とにかく楽しくて、本当に瞬く間に数時間が過ぎ去ったように感じた。
それ以来、私たちは、お互いに猛烈な勢いで接近し、頻繁にお互いの家を行き来したり、電話やファックスでやりとりをするようになった。
(当時はそろそろ、各家庭にパソコンが普及し始めていたけれど、まだ誰もが気軽にパソコンを扱い、メールでやりとりをするところまではいっていなかった。私も彼女も、どちらかというとアナログなタイプだったので、もっぱら電話とファックスだった。)
私たちは、日々の出来事とそのなかで感じたこと、あるいは聖書を読んでいて気づいたことなどなど、あらゆることを話しあった。どんなに時間があっても足りないと感じるくらい、お互いのお互いへの関心は尽きることがなかった。さまざまなことについて感じていることを言葉にすると、「それ、わかる!」「それ、まさしく私が言いたかったこと!」ということが連発される。それがとにかく気持ちよかった。
元々、彼女の私への関心のポイントは「言葉で表現することが、自分の言いたいこととぴったりしている」ということだったみたい。なので、親しくなった早いタイミングで「歌詞を書きなよ~。一緒に曲を書けるようになるとうれしいな。」というオファーをもらった。
私のほうも、とにかく彼女の歌声や作曲のセンスをすごく好きになったのが「この人をもっと知りたい」と思ったきっかけだったし、自分の言葉のセンスを認めてもらったということで、とても舞い上がった。
「そんなことが叶うなら、それ以上のことはない~!」
という気持ちだった。
それからほどなく、私は自分でも曲を作るようになった。
実は、私は子どもの時からなんとなく曲を作るということをしていた。家族の中で有名なのは、妹をめでた歌。
たぶん4~5歳のころ、3つ年下の妹がかわいくて、それをただそのまま歌にしたようだ。歌詞はほとんど覚えていない。出だしは「か~わいいはるかちゃん~♪ か~わい~いいな~♪」だったことだけ覚えている。
自分の中でのヒット作(笑)は「あさがお」という歌。6歳ごろの作だろう。記憶は定かではないが、そのころ、実家が分譲住宅地を買い、家を建てて、公団のアパートから引っ越した。新居にはわりと広い庭があって、初めてあさがおの種を植えて、夏になって花が咲いたのではなかっただろうか。うれしくて、「きれい、きれい」と喜んでいたことをうっすら覚えている。そして、歌詞もカンペキに覚えているのだ! メロディも覚えてるよ(笑)
あさがお あさがお きれいだな
おおきなはなが さいている
あか あお むらさき
きれいだな
これだけの歌である。素直な、子どもらしい歌だと今思う。
父が作曲家だったことは以前に書いた。
幼少期に、父が作曲をしていることをどれくらい具体的に知っていたのかは、今ではわからない。でも、なんとなく知っていて、「音楽を作る」ということをそれほど特異なことだとは思っていなかったんだろう、とは思う。
高校、大学時代に、人が曲を作るのを手伝ったことはあったけど、自ら曲を書く、ということは30年以上ぶりだった。けれど、ピリカとの関わりを通して、自分のなかで何かがほどけたように、「曲を作りたい」という願望が生まれ、何者かに促されるようにしてそれを実際にやり始めたのだった。
その時、最初に完成(と呼べるかわからないが)させた曲は、その後、何度か人前で歌わせてもらう機会もあった。その歌詞の原型は、それに先立つこと数年前に、軽井沢にある宿泊施設で、自然のなかを散策していた時にノートに書きつけていた詩のようなものだった。歌詞を載せておく。
BIG TREE
夢中で歩いてた時には 気づかなかった
たぶん 明日しか 見てなくて
下向いて歩いてた時には 見えなかった
たぶん 自分しか 見えなくて
でもある時 疲れ果て しゃがみこんだ時
あなたがそこにいた 太い幹 名も知らぬつる草
見上げれば ほんとうに Oh Big tree
いつからここにいたの
ふしくれだって ところどころひび割れて
でもそこから また新しい命芽吹いてて
根元には 苔むして 小さな花 そして虫たち
なんだか あなたの子どもみたい
ざわめく葉っぱの歌 そして鳥たちのさえずり
なぜか心温まる 優しい木肌
あなたはきっと 雨の日も 風の日も
ただじっと ここにいて
空の泪 怒り 憂いの声 聴いて
大地の轟きに 心奮わせて
風の運ぶ香り 恵みの雨
太陽の光 大地の命
受け取って 今あなたは
疲れた旅人を静かに覆う
Oh Big Tree
この原型を書いたのは、4人目の子が生まれた数ヶ月後。ずっと前だけを見て、ひたすら歩いてきたように感じてきた人生で、少し足を止めるきっかけをもらった時だった。でもその時は、大地にじっと佇む大木を見て受けた感動をノートに書き留めただけで終わっていた。
でもそれから3年後、ピリカとの出会いがきっかけとなって歌を作りたい、と思い、そしてともかくも自分の中で、この詩が日の目を見ることになったのだった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?