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note創作大賞応募作品「喫茶あかりや 梓さんの灯」を書き終えての感想とメンタル弱者の創作活動についての概観

メンタル弱者が小説を書くこと。

  休職中に小説を書こうと思っていたところ、note創作大賞の企画を見つけました。多分、期間的に厳しいだろうなとは思いつつ、ここで頑張れれば、何かが変わる気がすると、いつも通り勝手に思い込んで、自縛プレイにいそしみました…笑
 こういうところが私のよくないところだなと思います。自分の能力、というか器を過大評価して、私ならできると思い込んで、やっぱりできなくて私はなんてダメな人間なんだって自己否定に走る。初めから、自分は何もできなくて弱くて小さい人間なのだと本当に思っていれば、苦しむことなんてないはずなのに。

私にとって小説を書くということ。

 小説を書くことは、私にとって、逃避行です。現実にはできないこと、出会えない人たち、場所、いろいろなことを私の指先で可能にしていく。主人公がぶつかる障壁も、それを乗り越えることも、支えてくれる人たちも、すべては私の「こうなったらいいな」や「こうなったらやだな」を作っていく作業です。
 物語を作り出すことで、ここ以外の世界がきっとあると思いたいのかもしれません。けれど作り手は自分自身ですから、その真逆を証明しているとも言えます。私は作り手であって、その世界に飛び込んで登場人物として生きていけるわけではないのですから。ふと我に返って過ぎた時間に気が付いた時、とても空しくなることがあります。
 ただ、本当に手前味噌で恥ずかしいのですが、後々自分の小説を読み返して、「あぁ、この表現は素敵だな。」とか、「このキャラクター好きだな。」とかそんなことを思うと、書いててよかったと、心の底から思うのです。この世界と、このキャラクターたちと、私自身が言葉を交わして生きていくことはできないけれど、確かに彼らは生きていて、私が世界を作った時間は無駄じゃなかったと、そう思える気がします。

崩して、休んで、本懐を知る。

 けれど、創作活動というのは、大なり小なり関わっている方であればご同意いただけると思うのですが、大変体力と気力を使うものです。仕事と生活の両輪がうまく回せずにいた私は、数年、その世界から遠のいていました。好きだったことができない。ゲームも漫画も読書もできない。インプットができないのですから、アウトプットの創作活動なんてもってのほかです。私の中からは世界を作り出せるだけの言葉がだんだんと失われていきました。
 ついに限界がやってきて、仕事を休んでからというもの、気晴らしに出かけてみたり、迫っていた引っ越しの準備をしてみたり、結婚式の準備をしてみたり、本当に、ぼんやりと日々は過ぎていきました。増減する薬を眺めると、こんなものに頼らなければ、生きていけなくなってしまったのかと思い、夫の優しい声にも、「でも」「だけど」でしか返せず、そんな自分に辟易しながら、感触のない日々は過ぎていきます。
 ただ、ゆっくり寝て、食べて、日の光を浴びていると、人間気力がわいてくるもので、あぁ、小説を書きたいなという気持ちが出てきました。久しぶりに、他の人から「やってみたら?」と勧められたことではなく、自分からやりたいなと思ったことでした。

物語を終わらせられない私が参考にした本。

 小説を書くにあたって、私はまず、今までの自分の書き方を振り返りました。
 私の書き方は行き当たりばったりで、思いつくままに書く書いて書いて書き進んで、あれもこれもと付け足しているうちに、まとまりがなくなって、エンドマークまでたどり着けないというのがいつものパターンでした。そもそもの動機が逃避行ですから、終わらせたくないという願望もそこにはあるのかもしれませんが。とにかく私は、物語を書く上で必要な軸を欠いているように思いました。
 そうか、私物語の書き方を知らないのか。そう思い当たった私は、本屋さんに出かけ、1冊の本を手に取りました。ここで紹介するのはとても心苦しく、著者の方の汚点にならなければ、と願っているのですが、この本です。

 今まで道筋も方向性もなく書いていた物語をきちんとエンドマークまで書ききれるように。そう思って読み始めたこの本はとても分かりやすく、今回作品を作るにあたっても大変参考になりました。1度技術的な面がわかると、筆の進みがまるで違うなと感じています。これからもきっとお世話になる本かと思います。

喫茶あかりやについて

 今回の物語は、いまより少し昔の、どこか遠くの港町にある喫茶あかりやが舞台です。以前pixivで、架空のお店のショップカードを作っており、そちらで作った設定を基にしています。
 私はもともとランタンとかランプとか、そういった火の明かりが好きでした。だからかはわかりませんが、私の小説にはよく火がモチーフに出てきます(今pixivで連載しているものもそうですね。書きながら気が付きました)。
 ランプの明かりが揺れる店内で、老紳士がお茶を淹れるシーンが浮かんだのが、この物語の始まりです。
 想送燈(そうそうとう)のモチーフは、お盆の送り火や火葬から着想を得ました。治癒魔法とか、特別な薬とかじゃないけれど。きっとそれは時間が解決してくれるけれど。生傷がかさぶたに覆われるまでの時間を耐えられるように、痛みとともに前に進む勇気を得られるように、背中を押してくれるような風習があるといいなと思ったんです。今の私に、一番必要なものかもしれません。
 このお話は、短編の連作で、透哉君と晴吉さん、結ちゃんの3人を中心に、あかりやにやってくるお客さんたちの想いと、透哉君の記憶をめぐる物語にしようと思っていたんですが、1話分で締め切りとなってしまいました…。
 機会があれば、彼らの物語を続けていきたいと思います。
(梓さん、結構好きなので、今後も登場するかもしれません…。)

 おしまいに、ちょっと怖くはありますが、もし作品をお読みいただいたら、ぜひコメントにて感想を教えてください。このキャラクターのここが好きとかも教えていただけると、今後の励みにいたします。
 長文、お付き合いいただきありがとうございました。

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