二の鳥居100⛩ 完走レポ
はじめに
僕は、2022年の夏ごろからトレイルランニングという趣味にハマっている。逗子に住みはじめて1年ほど経った頃、逗子や鎌倉周辺の低山にはたくさんのハイキングコースがあるということが分かり、走り始めたのがきっかけだ。
忘れもしない。真夏の30度を超える猛暑の中、ソルティライチのペットボトルを左手に握りしめて山に向かったあの日から、「山を走ること」が生活の一部になった。
飽き性の僕が、トレイルランニングを約2年も継続している理由の一つが「二の鳥居グループラン」という存在である。
鎌倉にある鶴岡八幡宮の二の鳥居に毎週金曜日のAM 7:00に集合して、鎌倉のトレイルをみんなで走るグループランコミュニティである。鎌倉の山を知り尽くしているワラーチの宣教師こと”トレイルさん”を中心におもしろい人達が集まっている。
そんな人達を紹介したnoteを2年前くらいに書いていたので詳細はそちらを見て欲しい。
さて、そんな「二の鳥居グループラン」が昨年から開催している企画が、鎌倉のトレイルを繋いだ1周55kmのコースを3周して165km(100マイル)走るという「二の鳥居100マイルグループラン(通称: 二の鳥居100)」である。今回は、そんな100マイルチャレンジをしてきたので、その完走レポを少し記しておきたい。
(トレイルさんのブログに「二の鳥居100」の紹介があったので載せておこう。)
9割は一緒に走ってくれた人、サポートしてくれた人、応援してくれた人に向けての感謝を伝えたくて書いているのだが、1割は人生で出会ったことのなかった新しい感情(僕はこの現象をsaliency -サリエンシー -と呼んでいる)に遭遇したときに無性に文章を書きたくなる自分の特性からキーボードに向かっている。
なぜ、100マイルに挑戦しようと思ったのか
理由は2つ。
1つ目は、過去2つのDNF(Do Not Finish)の無念を晴らすためだ。
実は、昨年の「二の鳥居100」にも2周エントリー(100km挑戦)として参加していたのだが、80km地点でDNFをしていた。昨年の参加者でDNFしたのはおそらく僕だけだったはずだ。そして、もう1つのDNFが昨年9月に開催された信越五岳110K。制限時間に間に合わないと判断し、78km地点でリタイア。体のダメージが少なかっただけに、自分の意思決定を悔やんでいた。
僕は、1度やろうとして失敗したことを成功に導くのは大して難しいことではないと思っている。1度経験すると、達成に必要な要件や課題が分かるので情報量が格段に違う。それらに適切な準備と対処をすれば大抵ものはクリアできると思っており、解いたことのある過去問と似たような問題が出る試験を受けるのに等しい。
だから、「1度もやったことない何か」を取り入れてさらに上位互換で達成してはじめて無念を晴らしたと言える。そういうわけで、僕にとって未知の距離である100マイルを走ってみたいと思った。
2つ目は、息子が産まれたことだ。本質的には、出産というイベントに遭遇したからかもしれない。
30時間以上の陣痛に耐え、命がけで出産してくれた妻を見て、男の無力さというか、自分のショボさを目の当たりにした。同じ苦しみは味わえないが、同じ時間苦しんでみることはできるんじゃないかなと単純脳の僕は考えたのである。ただの自己満足で身勝手な行動なのだけど、近づこうとする、分かろうとする努力は、異なる環世界で生きる者同士が分かりあう上で、最低条件だとも思う。
さて、そんなわけで100マイル走ってみるぞと宣言してみたものの子育てが始まってから走る時間なんてものはほとんどなく、月間走行距離も一番走っていたときの4分の1程度。
そんな練習量でどうやって100マイルを完走できるのか、無理な理由をあげれがキリがないのだが、10%でも走りきれる可能性があるならその10%をどうやって実現するかを考えるのも面白い。僕は、いつもそうやって生きている。
100マイルの旅路
前段でかなりの文字量を使ってしまったのだが、いよいよ二の鳥居100レポの本題に突入する。同じコースを3周したはずなのだが不思議なことに、そんな感覚は正直薄い。走った時間帯、一緒に走った人、自分の状態 すべてが違うからという当たり前のことなのだが、不思議である。
ということで1周ごとに振り返りながら、印象深いエピソードや考えていたことを書いていくことにしよう。
ちなみにコースマップはこんな感じ。
1)みんなでグルラン 1st Round
早朝6:00、小鳥のさえずりとともに清々しい空気が流れる鎌倉鶴岡八幡宮の二の鳥居にトレランザックを担いでテーピングを身にまとった人たちが集合する。神様が通るはずの鳥居の中央を、あたかも我が神だと言わんばかりに占拠している3人が今回の100マイルチャレンジャーだ。
ハイカーさんも多い鎌倉のトレイルに大人数で走るのは迷惑になってしまうので、3人のチャレンジャーがそれぞれパーティーを組み3チームでバラバラに走ることが基本ルールとなっている。だが、1周目の最初は早朝ということとコースの確認を含め、いつものグループランのように総勢10人弱でみんなでワイワイしながら進んだ。これから始まる長旅に思いを馳せながら、妄想をふくらませ、雑談と共に走るのは楽しいにきまっている。
僕は、今回の長旅に2つのアイテムを秘密兵器として用意していた。度付きの調光サングラスと鎌倉の低山のトレランに使っている人は殆ど居ないであろう、あれ。写真で僕しか持っていないやつ。そう、トレランポールである。
前者は普段メガネの僕がコンタクトレンズを長時間付けていると目が痒くなったりするので、前回のレースが終わった後からせっせとサングラス屋をまわり半年くらいかけてメーカーから部品を調達して作った代物である。レンズは僕が最近買ったカメラと同じNikonでかなりこだわって作った。だがしかし、1週間ぐらい前にギリギリ手元に届いたメガネを付けて、世界を眺めてみると、世界が歪んで見えているではないか。2次元世界に舞い降りたかのようにすべてのものが平面に見える。山を走ってみたが足元がまるで見えない。
急いでお店に持っていって相談してみると、サングラスの特性上レンズが湾曲しているらしく、普通のメガネと見え方が違うのは仕方ないから慣れるまでもう少し様子を見て欲しいとのことだ。
確かに、0歳児の息子を見ていると、自分の見えている世界と手先の感覚を必死にすり合わせるべく、毎日手を丸めて口に突っ込んでいる。そう、あれは、自分の見えている世界と自分の身体の感覚をチューニングしている作業なのだろう。
とか考えながら、まぁなんとかなるか、と思って違和感満載のサングラスで走り始めたものの、みんなと話していたり、足を運んで着地して、こけかけてを繰り返しているうちに、脳が網膜に写った絵を高速チューニングしてきた。Human InterigenceはまだまだAIには負けていない。
後者のトレランポールは、少しでも足の負担を和らげようと散々迷った挙げ句課金したアイテム。私のアスリートバックグラウンドは野球。特技は遠投。トレランには無駄と思われる重たい上半身を有効活用することができれば、練習不足も補えると考えていた。
これもほとんどぶっつけ本番だったので、使い方を習得するために1周目から迷わず投入していたのだが、鎌倉Dさんには、「北アルプスでも登るんか?」GNGさんに「どこの100名山登るんですか?」と突っ込まれてしまった。胸を張って答える、「大平山です(標高159 m)!」と。
※のちぼーさんから大平山はその半分くらいの標高ですよ!と言われて修正しました笑 どこの大平山をネットから拾ってきたんだろう... もっと恥ずかくなってしまった。
そして、コース20キロ地点に、ご自身もウルトラランナーでAIDを知り尽くしたご夫妻のご自宅エイド、「島田家AID」がある。今回の旅では、このエイドにお世話になりまくるのだが、そちらは後述しよう。1周目はホテル並みの品数と1つ1つのお品書きやドリンク、また家のレイアウトやメンテナンスグッズにすべての利用者が驚き、そして興奮したことであろう。体験した人にしか分からない深いインサイトをもとに設計されたユーザー体験は、利便性の境地を超えて人々を感動させるのだ。
さて、あっという間に1周を走りきった。まだまだ元気である。
2)地獄の暗闇ペアラン 2nd Round
小見出しでお気づきの通り、僕は2周目撃沈する。
19:00ぐらいにスタートした2周目は陽が落ち、風が冷たく肌寒くなってきていた。日中の楽しさと清々しさからノースリーブを身に着けていた僕は、汗冷えするかなと少しの不安を抱きつつ、荷物を置かせてもらっていた30km地点の友達の家で着替えようかなと呑気に考えていた。
最初の10kmほどは特に問題なく、夜風を感じながらナイトトレイルを楽しんでいた。普段走っている場所といえ、夜はまた違った道に見えるのが面白い。そして、12km地点のコンビニで冷たいものが食べたくなって、ゼリーをかき込んだが終い、僕は吐き気に襲われ前に進めなくなった。俗に言う、胃腸トラブルというやつだろう。お腹が痛くなることはあっても、走っている途中に胃が気持ち悪くなることは今までなかったので、原因や対応策がわからず、ただその状況を耐えることしかできなくなっていた。
一緒に走っていた、二人のマイルチャレンジャーともここでお別れだ。暗闇の先に見えなくなった。胃・グッバイ。
そんな中、後ろについてくれていたのちぼーさんに励まされながら、なんとか島田家AIDまでは行こうと力が入らなくなった体をとりあえず前に動かした。
このとき、気付いたことがある。使い慣れていないポールを多用したせいで、上半身が揺さぶられ胃に負担がかかっていたのではないかということだ。冷えとのダブルパンチ。そう仮説をたてて、とりあえずポールを封印し、足を酷使するつもりで回復を待った。
あのとき、僕はなんか悔しかった気がしている。正直、十分な練習は積めていなかったけど完走する自信があった。その自信が崩れていくように脳内に弱い心が登場し始めていた。
僕は昔からメンタルが弱い。正確に言うとメンタルが強いときと弱いときの差が激しい。「わ た し は 最 強ーーーーーーー!!!」というモードから、一気に転落するスピードは文春砲の一撃くらい早い。年を重ねるごとにだんだん自分の感情をコントールする術を身に着けてきていたが、胃のトラブルは僕を弱気にさせていたことは事実である。
やっとの思いで、深夜0:00頃に島田家AIDに着いた。一目散に横になり40分ほど仮眠をした。眠たかった訳では無いが、回復するのには横になるのが一番な気がしたので、iPhoneのアラームがなるまで記憶を飛ばすことにした。だまさん(島田家AID家主)がカイロを貼るといいよと持ってきてくれて、胃のあたりと背中にカイロを貼って寝た。部屋の湿度と温度も相まって一瞬で記憶が飛んだ。
こんなに美味しそうな丼メニューがあったのに何も食べることはできず、白湯をひたすら胃に届けた。スポンサーのAIDキッチン提供のクラムチャウダーくらいは飲みたくて、スプーンでひと口運んだら吐きそうになった。困ったなぁ。
ここで、胃腸トラブルには「MAGMA」というサプリメントが良いらしいとかなこさん(島田家AIDの料理長)が教えてくれていっぱい授けてくれたのだが、これが今回の旅のターニングポイントとなった。数時間に1本だよ、と言われたにもかかわらず一気に2~3本飲んでしばらくすると、水が飲めるようになり、ジュースが飲めるようになり、島田家AIDで持たせてもらった食べ物が少し摂れるようになった。MAGMAありがとう。
少しずつ体も動くようになり、途中からペーサーとして一緒に走ってくださっていたTommyさんとたくさんお話をしながら走った。昔から徹夜ができない僕は、「夜明け」というものの存在をあまり知らない。少しずつ明るくなる空と鳥たちの目覚め、”始まり”を感じさせるいろんな要素が明け方にはあるんだなと、山のなかから見る朝焼けを美しく感じられるぐらいには復活していました。
3)復活のパーティーラン 3rd Round
どうだろうこの清々しい写真。(photo by マサコさん)
2周目をなんとかクリアして、3周目に一緒に走ってくださったマサコさん、ちょーすけさんと合流。最後の1周がスタートした。
グループラン、ペアランと続き3人(途中からGNGさんも合流してくれて4人)でのパーティーランだ。天気も快晴で気持ち良く、前に進むことができた。
途中で石川コーヒーに寄り道したり、島田家AIDで昨晩食べられなかったものをたくさん頂いたり、コンビニでアイスを食べたり、なんやかんや一番楽しく走れた1周だった。
もちろん、足のダメージは大きくて、右膝が途中から終わったけど、100マイル常連のGNGさんが、痛いのは当たり前っしょ って言ってたのであんまり気にならなかった。(痛かったけど)
そして、日曜夜の23:57、なんとか日が変わる前に二の鳥居にゴール⛩
遅くにもかかわらずゴールで待っててくださった、鎌倉Dさん、ハチさん、のちぼーさん、だまさん、ありがとうございました!
ライトに照らされた段葛を見通す、ゴールの二の鳥居はとても美しくて、ど真ん中を通ってしまいました。神になった気分でした。
みなさまへのお礼
一緒に走ってくれた皆様
途中で色んな人がパーティーに加わったり抜けたりするのが、二の鳥居100マイルグループランの面白いところ。今回もたくさんの人と一緒に走ることができました。
一緒に走ってくれたすべての人、ありがとうございました。
AIDなどサポートをしてくださった皆様
島田家AIDをはじめ、AMAZAKE STANDやAID KITCHEN、鎌倉飲茶さま、またスポンサーとなってサポートしてくださった皆様にこの場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました。(飲茶のおかゆにも救われました….)
応援してくれた家族、友人たち
また、今回の挑戦を温かく(?)多少冷ややかな目で見守ってくれた家族、インスタのストーリーを見ながら応援してくださった皆様、ありがとうございました。
息子氏には、歩いたら鎌倉トレイルをいち早く歩かせようと思います。
今後やってみたいこと
さて、勢い余って6,000字も書いてしまいました。
最後に、今後やってみたいなぁと思っていることをここに宣言して終わりたいと思います。
最近、「文章を書くことで、自分の考えを世間に伝える」ということに本腰を入れて取り組んでみたい衝動に駆られております。
昔からちょっと小難しい本を読むことが好きで、作者の考えに触れては勝手に作者と対話した気分になり、会ったことのない師匠をたくさん作ってきました。
最近は、あっち側に行ってみたいなぁと思うようになっています。あっち側の人は自分語りなんかしません。しっかりと考えを論理的に記述し、時には小説のような文章のテクニックで主人公に語らせます。そんなことを、してみたい。
今回は、自分の考えを伝えるという目的ではなくレポ形式で旅の記録をお伝えするとともに、皆様にありがとうの気持ちを伝えるために書いていますが、今後はもう少しお固めの文章を書いていこうかなぁと思っています。
例えば、
ローカルコミュニティと豊かさの観点から、二の鳥居100イベントを批評してみたり(仮題:『二の鳥居GRから学ぶ、現代社会に欠けている繋がり』)
ロングレースにおけるマネジメントとプロダクトマネジメントの共通点をあぶり出し、プロダクトマネジメントとは何かを論じてみたり(仮題:『プロダクトマネジメントとは何かを100マイル鎌倉を走って考えてみた』)
全然需要なさそうだけど、書く練習として自分の興味や関心があって、日々考えていることと今回のイベントを結びつけて、なんか論じてみようと思っております。
いつになるか分かりませんので特に待って頂く必要はございません!
では、また鎌倉・逗子でお会いしましょう。
saliency
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