相手のことは、相手の立場になってみないと本当にはわからない
「相手の立場に立って考えよう」
相手を理解するために、また人と人がうまくやっていくために、必要な考え方です。
でもこれ、「考える」だけでは、本当に相手のことはわからないな、と思うんですよね。
考えているのは自分だから、どうしても自分の感覚でとらえてしまう。
相手がどう感じるかって、結局その人と同じ立場にならないと真に理解はできないんじゃないかと思います。
たとえば、[自分の咀嚼音が人に聞かれて嫌われるのではないか]と心配で、みんなと一緒に給食が食べられないAさん。
コロナ禍の『無言給食』がきっかけで、自分の咀嚼音がすごく気になってしまい、今は別室で、一人で食べています。
私個人としては、彼女の気持ちは正直わかりません。
私自身は、給食を食べるときに人の咀嚼音が気になったことはないから、自分のそれも人に聞こえているわけはないと考えているからです。
それに、目の前でクチャクチャ食べているわけでないなら、例えばきゅうりをポリポリ食べている他人の咀嚼音が聞こえるからといって相手を嫌いになることはないから、私も人に嫌われるわけはないと考えます。
もちろん、気になることや傷つくことは人それぞれで、感じるストレスの大きさも人それぞれだとわかっているから、Aさんの気持ちは理解できるし尊重したいと思います。
でもこれは、「Aさんの心情を理解している」というよりは、「いろんな考え方をする人がいると知っている」ということに過ぎないのではないでしょうか。
つまり、理解しているのは、[Aさんの気持ち]じゃなくて、[いろんな人がいるよねということ]なんじゃないでしょうか。
本当にAさんの気持ちを理解するには、私にとっては自分の咀嚼音をマイクで拾って教室中に流すくらいの恥ずかしい体験が必要そうです。
多分Aさんがクラスで給食を食べるときに感じている恥ずかしさや不安感は、私にとってはこのくらいやらないと味わえないと思うのです。
つまり、「相手の立場になって考える」じゃなくて、「相手の立場になる」じゃないと、相手の気持ちは真にはわからない、ということ。
これと同じことを、美術室の窓からの風景を見て思いました。
高速道路を走っているとき、すぐ近くにある民家や学校を見て、
「きっと車の音、うるさいんだろうなあ」と思っていました。
南武線の線路沿いの家に住んでいる友達の家に数日泊めてもらったことがあり、ひっきりなしにやってくる電車の騒音に「よく毎日耐えられるなあ」と思ったからです。
この学校は、高速道路のすぐ近くにあります。
歩いて行くと、小さな山を登って3分でたどり着けます。
だから、私の想定では「きっと授業中うるさいんだろうなあ」と思っていたのですが、
実は窓を開けていても、高速を走る車の音は、全く聞こえません。
きっと防音壁がちゃんと働いているんでしょうね。
つまり、高速道路の近くに行ってみないと、本当にうるさいかどうかはわからない。
想像だけで「高速の近くの家ってうるさそう」と思っちゃダメってことだなあ。
…なんて、せっせと絵を描いている生徒はお構いなしで、
窓の外を眺めてボーっと考え事をしている、なんちゃって美術部顧問の私なのでした。
ちなみに、高速道路から、唯一学校まで聞こえてくる音があります。
窓を閉めていてもきこえます。
さて、何の音でしょうか?
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正解は!
スピード違反の車を追いかける、
パトカーのサイレンの音でした!
急に「ウーーーー!」と響き渡り、音が走り去っていきます。
授業中に聞こえてくると、生徒たちも
「あー、捕まったね」と笑っています。
皆様、ウチの学校の裏手の高速道路を走行する際には、高確率でパトカーが張っているようですので、お気をつけくださいね!