まんじゅうこわい。
昨日、上司が講師になっているとある勉強会が勤務時間中にあったので
「この時間聴きに来ない?まこさんもう知っている内容だから詰まんないかもしれないけど」とお誘いしてもらったこともあり
じゃぁ、と2時間ほど聞いてきました。
話を聴くと言っても、資料配布や講習中の撮影など
ちょっと運営チックなこともやりながらではありますが。
確かに「知っている内容」ではありましたが
改めてそうか、そうだよなと身につまされる内容ではあります。
話を聴くにあたり
傾聴しましょう、その人の感情にフォーカスしていきましょうということは口酸っぱく言われて、実践をするのです。
ところが。
感情にフォーカスしても一っミリも進まないこともあるわけです。
そんな場合は「出来事」かベースでお聞きしていくのですが
感情に触れられずに、逃げちゃったんじゃないかな。とがっくり肩を落とすことも日々感じています。
講習の中で上司が話していたのが
「感情に焦点を当てすぎてはいけないケースがある」ということ。
それこそかなりつらい感情が沸き上がっている相談者だった場合には
感情に共感することは大事ですが、一歩間違えるとその感情がもっと深みにはまってしまい、大変なことに。
さらに、「内省が深まらない」人もいるからその人にいくら感情に焦点をあててもできないものはできないから結局ムズカシイ。
そうかーと今まで「なんで深まらないんだろうか」「わわ、この先行くとかなりまずいことになるぞ」というケースを思い出しながら
そうか逃げではなく転換したのか、私は。
ちょっと目から鱗が落ちました。
いや逃げてしまった可能性は0ではないのですが。
例えていたのはまんじゅう。
まんじゅうの皮→その時の状況
あんこ→感情
まんじゅうの皮がまずは最初にあるのでそこに焦点を当てた後に
大事な大事なあんこに到達すると。
最初っからあんこの方を触れた方がいいケースもあるけど
まんじゅうの皮から、むしろ皮が分厚いから何度も川にアプローチしてのあんこなんてことも考えられます。
イメージしやすく自分に落とし込んだので今日は意識しながら相談者の話をききました、まぁ1人は皮→あんこにちょっと触れることはできました。
引き続き、緩めることなくやってみようと思います。実験は続きます