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こんなことができるのは感無量

先週土曜日に、中学生の甥っ子が我が家に遊びに?きました。
遊び…ではないのですが。

姉と結託して、その日に用事があるという事にして
とある外出を免れるため。
私はこっそり主要駅で甥っ子と合流し、我が家で過ごしたいという希望があったのでやってきたという。

前日コソコソ姉と甥っ子にお願いされて「いいよ」とちょっと悪いことしている気分(そんなにオオゴトではないんですけど)

静かだね…

我が家に来た甥っ子の第一声。
大人ばっかりだからかなぁと母が答えます。甥っ子のお家はおいっこの弟君がかなりにぎやか。というか大きな声でずっと何かを話していることがデフォルトなのです。そりゃ静かか。


そんな喧騒から離れ、我が家のダイニングテーブルで持ってきたものを黙々と打ち込んだり、書き込んだりしている様子でした。
天候も相まって外仕事もできないため、私と母もPC作業や本を楽しむという時間を過ごしました。

数時間たったころ、「おやつにしよう」という事になり
アイスやコーヒーを楽しみながら、ぽつぽつ話をし始めました。
母の手術の事、それにどう甥っ子が感じたのか。
その後、娘二人(姉と私)がワチャついていることについて…

大丈夫だっていうことが○○くん(甥っ子)に分かってもらえてよかったわと母が言うと、甥っ子も嬉しそうにしていました。

大丈夫ってうーちゃん(母)が言っているから俺は大丈夫だって信じてたんだよね。でもモコさん(姉)とまこちゃんが心配なのもわかる。
大丈夫って感じたのは直感もあるけど…何を感じたかってうまく言えないけどさ…

○○くんには大丈夫って感じたんだね、私たちは娘だからつい心配になってさ~。そうか~なんだろうね。大丈夫って信じたものはさ。

そうだなぁ‥‥あ、そうだ…あの時の…

…こんな感じで話がどんどん続いていきました。
それって違うんじゃないかな?とか、思い込みなんじゃない?とかそういう言葉は一切なく、それぞれが発した言葉や感じた事を受け
気になったことはどうしてそう思ったの?とそれぞれが問いかけるという…

こいつぁ、対話がくりひろげられているのでは?

母と私は割と日常的に”対話”になります。
…まぁ、わたしがなぜなにおばさんなので、よーくきいてしまうので
しょうがないなぁと付き合ってくれているかもしれません。

甥っ子ともできるんだ…とちょっとだけ驚きましたが
まぁできるかもしれないと薄々は感じていました。

物事を話す、考える時に結構深く考えたり人の気持ちを受け取ったりする様子が伺える甥っ子だと小さい頃から感じていました。
だから、頭ごなしにだめじゃない?とかそれちがうでしょ。みたいなスタンスは取りにくいし、自分の気になることは掘り下げるかな…と。
(一時期、ひろゆき氏に感化されたときは論破スタイルでしたが汗)

対話ができたことでそれぞれ、理解がより深まって素敵おやつタイムでした。

うーちゃん(母)とまこちゃん、もこさん(姉)はずっと俺の事を「一人の人」として見てくれているな、といつも感じている。

そんな一言を対話おやつタイムの最後にぽろっと言ってくれました。

相手を尊重することが大事だよ、とか
理解することが信頼につながっていくんだ。とか

一言でいえばそういう事なのかもしれませんが
ゆっくり時間をつかって、じっくり。瞬間ではできないことなんだよな…と
甥っ子の一言に集約されていると感じた次第です。

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