すっぱりできないのはなぜだろう
今日は”遠い昔暮らしていたけど、ほぼ初めまして”の場所に行ってきました。
その話は落ち着いて書いてみたいので今日はこれくらいにして。
「いってよかったなぁ」としみじみしながらお風呂に入り
さっぱりして洗面台を眺めると
眼鏡が目に入ります。
そりゃ当たり前です、最近は眼鏡生活をずっと続けていますから
外した眼鏡がそこにはあるのですから。
外した眼鏡の他に、もう一つ眼鏡をそこにおいてあるのです。
もう一つの眼鏡、実は最近ずっと使っていません。
ねじがどこかにとれてしまい、ガクガクしているのでかけると見え方がゆがんでしまい気持ち悪くなってしまいます。
以前もこのようなことがあって、修理に行ったのですが
結構ゆがんでいるので、今度取れたときには新しいのを作った方がいいと
言われたのです。
そう、もうきっとこの眼鏡は使えないとわかっているのですが
どうにも処分しがたくずっと洗面所に置いてあります。
私はそういう「もう使えないものを、思い切りよくサクッと」捨てられない。という自覚があるのです。
今回だってもう使えない、となれば眼鏡屋さんに引き取ってもらい新しいのを作ればいいのですし
ワンチャン、ないっすか?と修理してもらえばいいのですが‥‥
もう「今のままではだめでしょ」ということはわかっているもの‥‥
それを何とかならんか、とそのまま置いちゃう。
何だろうな、この自分のぐずぐず感
これ多分モノだけのことじゃないんですよ。
今日眼鏡を眺めながら、共通項がたくさんあるなと思いました。
だめだったら、どうにかするか。もうスパッと次に行くか
その思い切りが大事。
そうでないと、「本当に大事なもの」に注力できませんもの。
まずは眼鏡から。お休み中に何とかしようと思います。