立ち返ると違う所に問題が?
出張の方・お休みの方がいるため金曜日は職場内は静かな一日。
週末目前にちょっとだけ空気をゆるめながら仕事に取り掛かっていました。
そんな少ない人数の中で「現在感じている仕事上のもやもや」について話を聴いたり、したりする時間を過ごしました。
普段だとなかなかできないことなので、結構貴重。
話を聴いたり、したりしながら
人間の悩みは、すべて対人関係の悩みだなぁと改めて心に刻みました。
アドラー先生談でもありますし…。
それぞれ持っている信念とか、大事にしているものが全く違うからこそ起きること。そして信念・大事なものが違うからこそ「自分のものさし」で測るので相手にとってはそれ違うよ…とすれ違いも生じるってものなのかもしれません。
こっちのこと、何もわかってないんですよね。
そんな言葉も本日聴きました。
この「わかってくれない」感覚は結構ダメージが大きくなりがちで
先日根っこと茎と葉っぱ?に例えて書いた事案でも
仕事暇だって思って、バンバン事案放り投げてきやがったな!
その前にもぶん投げ仕事何個したと思ってやがるんだ、わかっちゃいねぇ!(なぜかエセ江戸っ子口調)
こんな「こっちのことなんかわかっていないなんて」という失望に似た感情もあったのです。
前数個ぶん投げ仕事したことも覚えていないのかもしれないし
まぁ突然相談が入ったなんてわかんないか。と
「対誰かのこと」をわかるのも難しいかな…というもう一つの見方もあります。自分は自分の状況しか把握できませんし、それも正しく把握しているのかも怪しめ。となると他者をわかるとはもっと難易度が上がるのか‥。
となると、「わかってくれてない」のは致し方ない…?え?ううむ。
寝はいいやつ理論と、根っこと葉っぱは共同体理論と、わかってくれんのはおかしい理論、そもそも人は違うので分かり合うの不可理論…
なんかどれも違うようで、どれも当てはまる気がしています。
そんなことで頭がこんがらがりつつ
結局悩みは全て人間関係から、でその悩みは「わかってくれない」という大きな入り口から複雑に絡み合っているので一筋縄ではない、という結論に至った次第です。その一筋縄ではないことは解明するのは不可能ではないかなと遠い目になりながら”人間関係”に四苦八苦して行き続るのだろうか…
まぁ結局ぶん投げられた案件は
ぶん投げられてなんだよ、という気持ちと
その手続きが”初めましての方に相談する”と私にとってはハードルが高くて怖いという気持ちからきているということが発覚したので
”怖いという気持ち”のハードルを乗り越えるために自分をどう持っていくかという事に集中し無事案件はクリア。
…あれ、これって私自身の問題だった可能性もあるぞ。散々人間関係とかいいつつ…う~ん…