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それ、私がなりますよ

今年の夏、猫ちゃんは昼下がりはずーっと眠っていました。
朝私を早く起こして、数回ご飯をせしめると満足したように朝7時には就寝。そして夕方5時までぶっ通しで寝続けているようでした。
(休みの時にじっと観察してみました)

猫って寝るのが仕事、「寝子」から猫という当て字になったという説もあるくらいだから。
…だから心配すんな的な声は界隈から聞かれましたが、ちょっと寝すぎでは?そんな心配は消えず。

今年で猫ちゃんは11歳を迎えました。マダムみが増してきて
寝てばっかり…なのかなぁと言う心配。

加えて周囲の猫さん暮らしの方々から「複数猫さんズとの暮らし」を強くお勧めされ気持ちがグラグラ。

もしかしたら、我が家の猫ちゃんはさみしくておともにゃちが欲しいのかなぁ。きっと活発に一緒に遊べば寝て一日過ごすこともないし…
おともにゃち…おともにゃち…

そんな呪文を唱えるように考えることもあったのですが
猫さんのそもそもの生態を考えると「おともにゃち」いるかい?という説を最近目にしました。
わんわんは集団生活でコミュニティを作り上げる。的な事をうっすら聞いたことはあります。一方猫さんは基本単独生活。一時的に集会を開催していますがその場限りでハイ解散。という生き方。

おまけに「おともにゃち欲しいにゃ」という猫さんも一定数いるとは思うのですが、うちの猫さん…多分違う。
たまに来る地域猫のおかめちゃんがうちの軒先にいると
”ブヒブヒ、ブゥブゥ”と困ったように鼻を鳴らしてうろうろしています。
(鼻の調子が今一つで興奮するとブヒブヒいうのです)

あれは「仲良くなりたい」というか
あのーあの…ここ…私のお家…なんです…よーと訴えかけているような感じ。

小さいときに保護猫施設から一緒にお迎えするとか、兄弟猫さんとか
同じタイミングだったらイケたかもしれませんが
今から「新しいおともにゃちだよ!」と私が余計なお世話をしたら多分…ガビーンとショックを受けることが目に見えてきます。

結局
”猫ちゃんのため”と思っていたことが全くの余計なお世話。
もう一人いないと猫ちゃんがいなくなったときにさみしいのでは?という完全に将来の自分が感じるであろう喪失感の穴埋めをしていようとしていたのか…と思うと本当にゲンナリしてしまいます。自分の愚かさに。
おまけに「助かる猫ちゃんが増えるから」というもっともらしい大義名分チックな事を振りかざしながら。


なんて恥ずかしんだろう。ぎゃー



途中でお迎えするご縁がれば素敵ですし、先住猫さんの性格も問題なければ積極的にしちゃうのっていいなと思いますが、私欲の方が強いのが私のケース。猫ちゃんのおともにゃちは私がやればいいじゃないか。
ベストフレンドになる自信はある。と思う。
安易な方に流されず、一生涯猫ちゃんのおともにゃちに俺はなる。
もう欲にまみれっぱなしで参ったもんですね。それに今気づけたので良しとします。猫ちゃんのおともにゃちへの道のりは長いぞー

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