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栗の皮むきと似ているもの?

朝窓を開けると肌寒いくらいな温度で、こりゃ秋だなとなんかうれしくなってしまっていますが元気に半袖で出勤。衣替えを真剣に考え始めなくてはならない気がします…

そんな秋にはナイス食材が次々とやってきます。サツマイモとかクリとか…体重が増加する要素しかない。

先日うれしいことに、栗をいただいて少々小躍り。
ほっくほくの甘味で大好き。
大量の栗をすぐさまボールに入れて水に浸して、栗の皮を黙々とむく作業にとりかかったのです。
同じ作業なのですが、こういうこと大好きなので…本当はこんなことを仕事にしたいなぁと常々感じちゃいますが、現実はそうでないこともわかっています。

好きな事、やりたい事を仕事に
そんなことがささやかれ始めたのはいつの事だったんだろうなぁ。
栗をむきながらぼんやりと考えてしまいます。
今年は特に「やりたいことしかやりたくない」とか「興味あることしかしたくないですね」という言葉を聴く機会が多いな、と感じます。
将来どんなことに関わりたい?という関係の問いに対して結構頻繁に出てくる話ではあります。

これは今に始まったことではない。私が就職活動している時も(ただ就職氷河期真っ只中)です。
メディアでは「いややりたい事を仕事にしない方がいい」とか「仕事なんだからしたいとかしたくないという次元ではないのだ」という話にも。

一種白黒で展開されることは多いなぁ。…とボンヤリ思考停止してしまうのですがやりたい事しかやりたくないという発言、興味ある事しかしたくないのは「なんで」なんでしょうね?とも思うのです。まずそこを知ってからじゃないと「やりたい事を仕事に」「やりたい事を仕事にしない方がいい」にたどり着けない気がします。

大概、その一言を言葉通りだけ受け取って、「勝手に」聴き手が解釈することなんて非常に容易な事なんです。

やりたい事しかやりたくない…って言った?
わたしだってそうしたいけど、やりたくないこともしなくちゃならないんだよ。なんてわがままな奴だ!
↑「私だってそうしたい…」以下は受け取りての事情、感情から判断に繋がっているのです。そうなるともしかしたら話し手の真意とは同じかもしれないけど違う可能性も大いにアリ。

私のやりたい事に目を向けると…
栗の皮むきのような「黙々とした作業のみ」が好きなのではなくて
最初に向いた皮むきから、ハサミの角を使うと固い皮に傷がつきやすくツルットむきやすいとか、ハサミはダイナミックにではなく細かく動かすとか
実は作業の中で「毎回違うやり方を考える」ことに私は面白さを感じているのです。

黙々とした作業がやりたいと一言でではなく
毎回同じことではなく、微妙な工夫を加えながら効率を上げていくことに面白さを感じたい。ここまで分解できればやりたいとは「なんのこと」なのか?さらに面白さを感じる私はここに観点を置いたのはなんでだろう?
「やりたい事」とは「やりたくないこと」とは?が少々わかりやすくなっていくわけです。だいぶ遠回りな気がしますが、「やりたい事を仕事…」のその人なりの解に繋がっていきそうな予感。

だから彼ら彼女らの「やりたくないことしかやりたくない」「興味のあることしかしたくない」の真意って、何だろう??
そこは聴いていかないとわからないので、判断をする前に問いかけていく必要は大いにあるし、話すことで自分自身の真意に気が付くことに少しでも関わっていきたいですね。

そんなことを考えていたらアッという間に栗の皮むきも終了していました。
ふと栗の皮むきと私の話を聴く仕事はそうそう変わらないのかもしれません…。

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