映画の一言から思い返すこと
いつも行くショッピングモールの植物コーナーが最近充実してきて困ります。今までしなびて元気のない多肉植物が売っていたので
「なんてかわいそうなんだ・・」と思いつつ横目で見ていたのですが
先週末から、とても元気な多肉植物がずらりと並んでいます
今日は「特売」なんてPOPが立っており、大変困惑しました。
…、我慢しましたよ!うちには総勢5名のうちの子がいますから!
落ちた葉っぱから順調に根っこが生えているものもありなんだかメンバー増えそうな予感もありますしね!(言い聞かせる)
今お家の植物たちの「居場所」は私が暮らしている家です。
ここにいてほしいからぜひ、」家に来てねと連れてきました。
そこから、日の当たる場所・風通しのいいとことろ
そのためには彼らの「植木鉢」はどんなものがいいのか。
そしてどんなラックに入れたらいいものか
居場所を「より居心地いいもの」にするよう、100均巡りをして物色しまくりました。現在も模索中。
環境的に「居場所」を作るためにあれこれ工夫するのはいいなぁ
(最近回顧する時期が同じ)
そこでふと大学生のころ観た映画を思い出しました。
私が一人暮らしをしていた新潟のとある市は結構こじんまりとしておりなかなか栄えていません。そこで車がある仲間と新潟市まで映画を見に行きました。
数人で行ったのですが、見たいものがそれぞれ違うので
「じゃ、各々見たいものを見て終わったら集合」
という感じで現地でいったん解散。
そこで私が見たのは「冷静と情熱のあいだ」
恋愛映画です、というと結構ざっくりしているのですが大まかな内容はそんな感じ。映画を見て感銘を受けすぎて原作の本、江國香織さん版と辻仁成さん版両方購入したぐらいです。
映画の中で、主人公の女性が「ここは私の居場所じゃない」と悩んでいるとき
「人の居場所なんてね、誰かの胸の中にしかないのよ」
先輩がこんな言葉をかけながら抱き合うという場面があります。
当時も胸に刺さる言葉ではありましたが、今現在も時たま思い出し考え込むことがあります。
環境とか物理的には「居場所」は見つけやすいかもしれません。
今いる場所や職場。
加えて結構大事なのは「誰かの中にある自分の居場所」です。
私ではない誰かが思い出したり、考えてくれるだけで
それは私の居場所なのではないか。
以前、居場所がないな。孤独だなぁと感じていた時期があります。
それは物理的なことではなく、「相手の中」には私はいる場所がないと感じていたからだったのかもしれません。
とはいえ、相手の「胸の中」に居場所があるか、ないかは見えませんので何で判断すればいいのかは難しいのですが
返される言葉や、態度なんてものでしかないので思い切り主観的ではあります。
そんなことを思いだしつつ
自分は誰かの「居場所」であることも大事なことだと思いました。
ここはあなたの居場所ですよ~大丈夫、いつでも寄ってくださいね。
そんな風に安心できる場を、形がないからこそ難しいのですが作っていけたらいいな。超難しいですけどね。
久しぶりに冷静と情熱のあいだ、見直してみることにします。何かもっと思い出すこともありそうです。