結局わからずじまい
当たり前だけど、1人の人が「いろんな場面で見せる顔」って全く違う。
私だってそうです。
家族やごく親しい人に見せる顔と
とあるミーティングで見せる顔
相談時に見せる顔
職場の人たちに見せる顔…
思いつくところでこれだけあります。
役割を演じている部分も大いにありますが、相談時に家族の前で見せるような本音満載で性格の悪さ炸裂でいってしまうとこれは問題が起きそう。
(マジなんだよ、とか結構な口の悪さ。40代なのにこの言い方は…と自分でもドン引き)
場面で演じているのか?とも思うのです。
それぞれの「顔」の所ではどんな自分で居るのがいいのかという事を考えているのかな…なんて思っています。
相談者に対峙する際は、どうしても素で行くわけにはいかず
お話し聴きますマインドを降臨させます。
そうすると素である自分とは異なってきます。
ただ「素」の自分とはいったい何のことを指してるのだろうか…
こうやって書いてみると、仕事をしている自分が素?というと
漠然とした理由ではありますがNOです。
じゃぁ全く素ではない「借りてきた猫」的な感じかというとそうでもありません。
「ありのままの自分」とか「素の自分でいる」
そんなキーワードを耳にするのです。
じゃぁありのままの自分でない、素の自分じゃないは良くないのか…?
いやいや、それって白黒で決められることではないのかもななんて個人的には思うのです。
ありのまま100%ではないけどある程度は出せているから、まぁいいかなとか、素の自分がちょっと足りないから少し出せる場はどこかなとか。
自分が「いいぞ」と思う線引きをまずすることなんだ~なんてうっすら思う次第です。
わたし個人では相談という場面では自分の素を出す必要がそこまでないのでこれくらいでイイかなとか
職場の方々は信頼おける人たちなのでこの部分まで素を出して本音言ってもいいかなとか。
家では素割と全開でヨシだね。とか。
そんな風に自分の素をどの程度出す微調整が自分で調整できるっていうのがいいのかなと思うところです。
ただ、先ほどチラッと「素の自分って一体‥」は解消されておりません。
まだまだ自分の闇の深さにメスを入れていかねばですねー