理解できない、を自覚したら
本当、一番にんげんが難しいよね。
今朝何気なく話していたことで、母が発したひとこと。
果物が入っていた箱に、猫ちゃんが入っていて
頭を撫でたらうれしそーにしていて
ついつい私もうれしくなってしまい
猫や植物と、って方が気持ちが通ずるかもしれない。
そんなことをぽろっと口走ったら、冒頭の一言。
植物や猫と”全部が全部気持ちつながる”とは言えませんが
なんだろう、やっぱり繋がっている感はあるわけです。
猫ちゃんの様子(食欲・表情など)
植物の様子(シナシナしている、ピーンと元気など)
観察する中で
「何が欲しいのか」「今ちょっと困っているな」
情報として伝わってくるのです。
昨日もお腹がパンパンになって困った表情の猫ちゃんにマッサージ
→無事お通じ。
その後、ありがとう、と言わんばかりに一緒に寝てくれる
(あなた、これがうれしいんでしょ、みたいな。)
わぁ、通じたわ!とホクホクしちゃうのです。
彼らは”コトバ”は通じません。
ニャーだし。植物は言葉すら発しません。
それなのに通じると感じるんですよな…。
方や、ニンゲンは言葉を扱うし
観察、+言語で”コミュニケーションとやら”をするのですが
まぁ「理解」なんて難しい。至難の業なんですよね。
毎日、「相手の見ている、感じている」ことを
問いかけながらわかってみようと「務める」のですが
理解は難しいわけです。
ちょこっとでも近いものを感じる、ことができたら万々歳。
ちょっと前に「人の気持ちが昔からわからん人」である
という烙印をバーンと押されてショックではあったのです。
…いや、「でした」だな。
ショック「でした」
そう、わかんないですよ。相手の気持ち。
言葉で嬉しいって言っていても
「全く同じ嬉しさを理解」なんて無理だと思いますし
同じような経験で「悲しく苦しい」と感じていても
私がその経験で感じたことと、目の前で悲しく苦しがっていることは
全く同じじゃないんです。
そういう意味では
人の気持ちをわかる、なんて不可能&できないんです。
ただ、
わからないからこそ。
何とか同じ景色を見れんもんか。
どんな風に感じているのか。
投げかけて、「こんな風景ではさぞこんな感情をいだきますね」
疑似ではありますが一緒に体感しようとするわけなのです。
そう、ご指摘は正解!わかりませんよ。
わからないと「わかっている」からその先どうするか
なんだなぁ。
さて、ならば「あなたはわかっているんですね」
さ~てどう「わかっているのか」是非是非ご教授いただければ…
うふふ‥‥