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消滅してしまったらしい

話し合いって何だろうな。とふと考えてみました。

日常生活で
「ちょっと話し合おうか」
「話し合っていい方向にすすめたい」
「話し合いしませんか」
そんな場面、よく耳にするし、言われたり、言ったり。


さて、この話し合いってどのように使っているんだろうな?
ちょっと疑問に感じました。


中原淳先生の「話し合いの作法」という本も少し前に読んで
どのような考え方で、どう取り組んでいくのか
フムフムと読みながら頷きっぱなしだったのです。


で、1人ひとり「この話し合いとは何を前提としているか」
多分全然違うのではないか?と思うわけです。

…というのも、話し合いしようぜ!という連絡がヒュッと
つい最近入ったもので。

もらったときに
話し合いかー、そうかそうか…
で、何について話すんだろうか。ちょっとわからんぞ。
そんな風に私が感じたからです。

言葉の意味としては

互いに話す。打ち解けて話す。

問題を解決するために、立場・考えなどを述べ合う。

コトバンクより

だそうです。


今まで幾度となく話し合いというものをしてきましたが
今回話し合いをする人とは途中まで2はイけた気がしましたが
1「打ち解けて話す」とはいかなかった気がします。


今まで繰り返された話し合いは
「自分の意見も、相手の意見もOK」というマインドで
臨んできたのですがどうも相手は違ったようで…
最後に「話し合い」と称したものは、いかに私が間違ったひどい人であることに終始していた気がします。

考え、ではあるものの問題解決には程遠い感じです。


で、その後もう疲れてしまったのですよ。


相手との問題を解決したいだろうか。
今後、何を話し合いする必要があるだろうか…。


多くの言葉を交わし、あれこれと投げかけたり受け止めたり。
相手もそうであったときもありました。

ただ最終的にはいつもの「判断」に戻ってしまいました。
そこで何を話すことがあるのかなぁ。
そりゃ私も悪いこともありますし、相手の言っていることも一理はあります。

あれだけ「あれこれ投げかけていこう」と
毎回話し合いとなったときには考え悩み抜いていたのですが
それ、私の中になくなってしまったのです。

なんでなんだろうなぁ。
共通の「問題」とするものはあるのだろうか。ないかもしれないと気が付いてしまったのかもしれません。

これが相手別の人になると…
「これについて話したいなぁ」とか
「あの時のあれについていろいろ聞いてみたいなぁ」
そんな気持ちが沸き上がってくるのですが‥‥。

おっと。こりゃ大変な事が見えてしまった気が。

とりあえず、その日はこれだけは伝えようと思っています
「私はあなたと話したい事がなくなってしまった、すまない。」

この現象は生きていて初めての事なので結構困惑しています‥
こんなことあるんですかね。



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