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目は物語る

昔から「誰かのちょっとした悩み事」を聴くことがまずまずあるのですが
それは今も変わらず。という自覚はあります。


仕事柄、そうでしょうね。と思われるかもしれません。


そりゃ仕事柄なのか?
仕事要素もあるかもしれませんが
うんうん、と聴くことが合っているからかなぁ


私に話を打ち明けてくれる人から、あまり確認したことはないのですけど。
いまだによくわからないまま今に至っております。



最近は「今の不安を聴いてほしい」という皆さんが多く
アドバイス要素は少なめ、「お話聴き」としてうんうんと存在しています。
(アドバイスは必要以外はしませんよ)


特に「仕事で対峙する学生」ではなく普段関わる方の方。
(学生さんも実は不安を聴いてほしいという人は多いのです)


うんうんと聴く時間が、そこまで長く取れないという事が最近は多く
”ごく限られた時間の中で”数分とかそれくらい。
話しの途中でおしまい。という事もあるわけです。
つい数日前の朝、まさにそんな状況。


数分の間、で何か役立つのか?というご意見もあるかもしれませんが
そう、すべてなんて「わかりません」。

ただ数分間で「以下にその方が重いものを持ち続けて」いたのかは
感じることができます。


うーん、あれを持ち続けるって結構なことだぞ
本当はじっくり話を聴きたいけどお忙しいだろうし。
こちらからグイグイと「辛いでしょ?もっとどう??」と行くのも、かえって無理やり感はあるし。


‥‥と少々モンモンと、話を聴いた日の夕ご飯の餃子をパクつきながら考えてしまいました。
まぁ、冷たいことを言ってしまえば
重いものを持つと決めたのはご本人ですし
辛いかどうか、も本人の感覚。


引っかかるのは
話しながら目が赤くなっていた…という事。


私は人の話を聴くときは表情の中でも”目”を注目しています。
もともとのクセでそんなに大きな理由はないのですが…

目には表情があると思っていて
口は笑っているけど目に全く「感情」がなかったり
話の途中までは「全く動かない目」がある話を問いかけた途端
キラリ
と光始めたり。


目は口程に物を言う、とはほーんとよくいったもんだと感心するわけです。


短時間で話をしたときの目、がいつもと違ったのです。
限界、と言っているようだなと…


餃子でお腹いっぱいになった後
メッセージを送ることにしました。

文章ではなかなか「誤解されて伝わる」ことが起きやすいという
危険性はあるし
なーんか余計かなぁとぐずぐずあれこれ考えて
今度会ったときにするか。と書く途中でやめる。なんてことも多いわけです。


その日はやめるの、やめようと変な決意の下送信。


これで返信が来なかったとしたら、
送信しなきゃよかったかも…とこれまたぐずぐず考えます。

基本「こんな風にしたほうがいいよ」という事は余り言及しないお話聴きスタイルなので…変なことを書いていない…とは思う…

自信がない中エイヤっと眠りにつきました。


翌朝返信が来て、少し楽になったとのことで少し安心です。


話しを聴くっていうのは本当に難しいです
また最近なかなかの傾聴スランプカムバック。

そんな状態でもちょっとだけ軽くできるなにかに繋がったのであれば
よかったのかも?
お話せっかくしてくれるので、かなり微力ですがお話聴きとして全うしていけたらいいなと。毎日の目標にしています。

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