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じゃない方を歩く
9月はそこまで足しげく相談者が来るわけでもない、と
昨年の9月相談件数を見るとすでに上回っているようで…
えっ、そうなの?とびっくりしてしまいました。
一日フルで相談が入っている事を考えるとかなりゆるゆる一日が過ぎている感覚ではありましたが、相談に来るほどみんながんばっているんだ…
私自身が学生の時なんて最終学年のくせに就活だらけて夏は何もやっていなかったこと、研究とかこつけて控室でカップラーメンだらだら食べていたことを想うと…ぐっときます。
ぐっときながら、昨年の事も思い出してみると一緒に働いていた仲間となんやかんや相談対応していたことを思い出します。
1年前の事なのに随分昔の事のように感じるのはなんでだろう…。
そのころ彼女自身ものすごく葛藤をしていた時期で
夜泣きながら電話をかけてきたことも何度かありました。
ソファーに正座しながら電話越しの”悲しみ”をキャッチしていたことを思い出します。
不安と不幸の話をその時感じつつ聴いていました。
彼女が語っていたのは「不幸に身を置くこと」の葛藤について。
第三者の勝手な視点では、そこに居続けることにもう限界があるのではないかという事実が伝わってきました。
事実はそうなんですけど、彼女はそこに居続けるという一種の決意が見られたのです。
私自身「不幸であり続けるべきである」と身を置き続けた過去があり
それが一種正解である、と思い込もうとしていました。
ただ気がついちゃったんです。「これ…不幸であり続けるって何か意味があるのだろうか」って。
大きく変わることの不安は相当大きく、選ばなくてもいいのではないかと弱気になりましたがええい、やっちゃえと多分不安を私はなぜかその時取れちゃったんです。不安は続きましたが、今はあのままいなくてよかったと感じます。
どちらがいいわけではなく
自分でそっち側に身を置くことを決めたこと。彼女が選んだ道です。
私と仲間、お互い「じゃない方」を歩んでいる今なんだなと思う所です。
彼女は今どうしているだろうか。存外不幸ではなかった、と今度は笑顔でお会いできることを楽しみに。