以心伝心は無理だけど
先ほど猫が出てくるテレビを見て夕食を食べていたら
画面のにゃあにゃあという声に反応し
それまで丸くなっていた姿勢をピッと座りなおして画面を目を丸くして凝視していました。
私にはわからないけど
画面のにゃあは猫族として何を言っているのか分かったんだろうな
そう思いました。
反対に、猫ちゃんにとって私たちが話していることはあまりよくわかっていないんだよな。ということもしかり。
おそらく名前をよばれているとか
いいものもらえるのはわかっていると思います。
それは何でわかっているんだろうなぁ。
私も猫ちゃんのにゃあで
「早く布団に入らないから怒っているな」とか
「もっとおいしいものほしいっていっているな」とか
なんとなーく(正確ではないはず)伝わるんですけど
何で「怒っている」とか「欲しがっている」って判断するのかな…
対人でも、言葉は同じ言語で話しているのですが
言葉通りではないなとなんとなく思うこともあります。
だから「同じ言葉を使っている」というのは情報として把握するのはアリですがそれが全てじゃないんだよな‥‥
もっと違う感覚的なもの、五感に結構頼っているのかもしれないなと。
ちょっとおかしいけどなんでだろうか…何がそう思っているんだろうな。
日々その積み重ねなんだろうな~たいへーん