定量情報で測れないものの価値
定量情報で測れないものの価値って
当たり前だかものすごくあると思う。
例えば誰かを好きになった時。
その好きという気持ちは数値では表せない。
一般的に、みんながそうしてるから
皆が見てかっこいいから好き?
もちろんそういう観点もあると思うが、
皆が嫌いでも好き。
外から見たらなんでこの人と付き合ってるの?
って思われると思うけど
なぜか好き。
こんな経験は皆が持っていると思う。
僕は、定量情報では測れない領域の仕事もしている。
というか仕事自体定量情報では測れないものが多いと思う。
なぜならお金を使うことは数値では表せないものも大きく左右するからだ。
この数値では表せないものは世界では大半だと思う。
そもそも人間は数値では表せないから。
多分世界のほとんどは数値で表せない。
それを数値で表せたらどれだけ楽か?
どうにかして商売をする上では数値化して一般化しようとする。
それはわかりやすいから。
判断がしやすいから。
でも世の中の大半が数値では測れない・・・
ということは、
仕事では定量情報で判断しているが、それは世界のごく一部の情報で判断しているだけで、ほとんどがブラックボックス。
重要な決断をごく一部視野の情報で判断していることになる。
まさに難題だ。それが伸び代でもあるのだが・・・
組織にいると定量情報で物事を判断することが多くなる。
なんとか定量情報にするために時間を皆が使う。
でもそもそもその視点が間違っているのではないかと感じる時がある。
定量情報は必要で少しずつ紐解いていけば確かにゴールには近づきはする。
しかし、近づきはするがゴールにはいけないのではないか?と最近思う。
全てをロジカルにて定量化して、拡大して行くのと
とりあえずやってみろ、やってみろでゴールに向かうのと
実際にはどっちが早くゴールに辿り着くのか?
卵が先かニワトリが先かというようなものの気がする。
見えないものを判断基準にすることの危うさは重々わかっているのだが
見えるものだけを見て判断するのも危ういのではないかと思う
今日この頃である。
本質はどこにあるのだろうか?
誰にも答えはわからない。
結果のみ答えを知る?
でもその結果の時間軸は短い。
時間軸が長ければ結果は変わる。
すごく真実を見せてくれると思っている定量情報だが、
考えれば考えるほどものすごく不安定なもののような気がしてならない。
それを拠り所にしている僕たちは本当にゴールに辿り着けるのであろうか?
何かを判断する時、何を拠り所にすればいいのか?
これはきちんと考えなければいけないと思うサラリーマンでした。