【特集】第3回北海道パンクロックリーグへ行ってきた話
2024年12月15日、真冬の茨城県下妻市にパンクでロックな男たちが集まった。
第3回北海道パンクロックリーグ:HPLへ行ってきた。
「九州人なのに北海道てwww」と思われるかもしれないが、まぁこれを読んでほしい。
何故サク来は茨城へ向かったのか
HPLは12月中旬に関東で行われる野球大会で、今年で3回目の開催となる。
リーグと名がつくだけあって、毎年2球団による7イニングのガチンコ1試合が行われ、両軍は優勝を目指して戦う。
参加球団は北海道勇払郡占冠町を拠点にしていると自称する”占冠シムカップス”と、上川郡美瑛町を拠点だと言い張る”美瑛ピエンピエーンズ”。
このわずか1試合のために選手は1年間を待ち侘び、そしてその全てをぶつけるのだそう。
各球団に所属する選手は、現役独立リーガーや経験者、さらに海外リーグで挑戦する選手など、多種多様なバックボーンを持つ。
参加資格に「面白い球歴であること、転じてパンクロックであること」であるらしいが、選手全員がパンクロックすぎるため、普通に見えてしまう感覚麻痺が起こってしまっている。
北海道の独立リーグというと、HFLとHBLの二つが思い浮かぶが、サク来はこのどちらの試合にも行ったことがない。
強いていうならばグラチャンでHFL代表の試合はあるが、それも3年間で4試合のみとなっている。
ではなぜ北海道の独立リーグと関わりのないサク来が参加したのか。
全てはリンシューさんとの出会いが始まりだった。
リンシューさんは美瑛の監督兼任選手を3年連続で努めているが、21年12月に行われたリンシュー選手引退試合がHPLの起こりだとされている。
22シーズンにHPLが誕生すると、23シーズン、24シーズンも無事開催された。
サク来は半年前ごろから彼とインスタントメッセージで会話する機会が増えて行き、今回こんなところまで縁が繋がった。
SNSやべー。
リーグ名に北海道がつくのは、リンシューさんが北海道の独立リーグで出会った愉快な仲間たちを中心に招聘したためであり、九州並びにKAL関連の選手は少ないと言える。
今回の参加選手で最もKALと関わり深いのは、今シーズンまで北九州Pでスタッフとして活動された平岩選手。
シーズン中何度か藤崎台でお話しする機会があるため、試合終了後に挨拶させていただいた。
あまりにも人当たりが良いためか、昨年そんちょうさんは彼とツーショットを撮影していた。
その他にも22シーズンのグラチャン準決勝・火の国戦に先発した木村優太郎投手(福島RH、元士別SB等)や来シーズンから宮崎Sでのプレーが決まった鈴木智投手(宮崎S、元すながわR等)も参戦しており、一緒にHPLを観戦しに行ったそんちょうさんとワイワイ盛り上がっていた。
そんな些細なきっかけからサク来たちは茨城県へ向かったのだった。
美瑛の邁進、占冠の奮迅
今年で3回目となるHPLだが、過去2回はいずれも占冠球団が優勝に輝いている。
美瑛代表であるリンシューさんは「そろそろ勝ちたすぎてヤバい」と嘆いていた。
砂沼での開催は2年連続で、外野には湖が広がっており、とても開放的だった。
試合は初回、占冠先発・山田投手(元美唄BD)が美瑛を抑えると、その裏に正木選手(元富良野BR)の犠牲フライで占冠が先制。
美瑛の反撃は3回、選手兼任監督である石破茂、こと佐々木広選手(元新潟ABC等)の犠牲フライで同点に追いつくと、続く佐々木浩選手(元奈井江空知S)のゴロの間に勝ち越す。
4回には5番・宇多村選手(元RH富良野等)のタイムリーで追加点、5回は中川選手(元大阪06等)の2点タイムリーで差を広げた美瑛。
最終7回は緊急招集となったジョセフ投手(元大阪06等)が抑え、試合終了。
悲願の初優勝となるかと思いきや、歓喜の輪を作る美瑛ナインに向かって占冠ベンチから選手が近づいてくる。
先陣を切った平岩監督がマイクを握る。
美しき日本の文化、土下座。
延長を申し込む儀礼である。
かくして、HPLは占冠球団による泣きのもう2イニングで試合が再開された。
直後の8回、奥村投手(元富良野BR)が打席に入ると、似内投手(元美唄BD)からスリーランホームランを放ち、援護点を加える。
9回も佐々木浩選手のタイムリーで1-9と8点のリードを得た美瑛、ここでウグイス嬢からアナウンスが入る。
最終9回裏、占冠は無死満塁の選択打順でスタートという茶番も茶番な特例が適用され、早速平岩選手がタイムリー。
1死を取るも、2者連続押し出しを与え、4-9まで追いつかれます。
2死目をとったところで、投手交代。
奥村投手からバトンを受け継いだのはリンシュー選手でした。
こちらも2者連続で押し出しましたが、最後は見逃し三振で試合終了。
今度こそ、美瑛が本当の優勝を掴み取ったのだった。
ゆるくてハード、HPL
ここまで試合を振り返ってみたが、読んでくださった方はお気付きだろうが、HPLは一貫して「ゆるくてハード」だった。
延長土下座だったり、最終回は無死満塁でスタートしたり。
破茶滅茶ではあるが、しかし選手たちは勝利を目指して戦う。
緩やかな雰囲気が漂いつつ、燃える闘志がグラウンドに集まっていた。
HPLは完全非営利団体ではあるものの、サポーターがついており、今回は十数のサポーター企業が確認できる。
各種表彰にも各サポーターが副賞の提供があり、HPLを成功させる気概を感じ取った。
今回サク来は、美瑛サイドの応援団として参加させてもらった。
応援のあれこれはGrizzlyのモトヒロさんが取り決め、トランペットの爆音は配信カメラのマイクまで届いた。
対岸では山梨FW応援団・ぎっこさんがフロアタムを叩いていた。
アーカイブを確認すると、攻撃時のほとんどはふざけて声を張り上げており、普段の火の国の応援では考えられない光景だった。
スタンドにもゆるくてハードな空気が充満しており、これがパンクロックなんだなぁと感じた。
かくして北海道パンクロックリーグは美瑛球団の優勝で幕を閉じた。
HPLは来年もパンクロックとは何か、追及するために12月中旬に開催されることだろう。
全てのHPL関係者に、感謝。
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