【選手紹介】#18 山科颯太郎
【暗黒宮崎のエース】
山科投手のプロ人生はカンドクの兵庫Bからスタート、23シーズンからは新設の宮崎Sに移籍した。
暗黒が続くチームのエースとして奮闘し、4勝14敗とチーム全体の11勝中4勝を記録。
PリーグでもNPB相手に果敢に立ち向かった。
24シーズンからは火の国でプレー。
背番号は高校の先輩である西島投手も背負った18番となった。
開幕戦で登板するなど、出だしは好調だったものの、初の先発登板となった大分B戦で黒星となって以降、登板数は減少。
わずか9試合と苦しい投手事情の中でも結果を残すことができなかった。
オフには宮崎Sへの出戻りが公示され、再び敵に。
なお23年に記録したシーズン14敗はKAL最多敗記録である。
古巣相手への快心の投球
こんにちは、サク来です。
今回紹介する選手は、山科颯太郎投手です。
山科投手は高校卒業後、20シーズンから兵庫Bでプレーしました。
主に中継ぎで活躍し、22シーズンにはチーム2番目となる22試合に登板し、低迷するチームで奮闘しました。
サイドスローから最速148キロの直球とスライダー、ツーシームを織り交ぜた投球で凡打の山を築きました。
23シーズンは宮崎Sに入団。
貧打・投壊で最下位に沈むチームで有水投手と共に支え続け、チームが挙げた11勝のうち4勝をマーク。
この年に記録した14敗はKALにおいて最多敗記録となっています。
シーズン終了後はPリーグに前半・後半ともに選抜され、投げ抜きました。
火の国に入団したのは24シーズンより。
エースナンバー18を背負い、暗黒時代からの脱却が期待されていました。
ただシーズンを終え、登板数は9試合のみ。
ほとんどの時間をブルペンで過ごし、一時は登録から漏れるなど今まで味わったことのない屈辱的な1年を過ごしました。
オフには古殿投手と一緒に宮崎Sへの移籍が発表され、火の国ではわずか1年のプレーとなりました。
宮崎Sでの復活に期待がかかるとともに、火の国戦の見どころがまた一つ増えました。
そんな山科投手が最も輝いた試合に、開幕戦となった宮崎S戦を紹介いたします。
ホーム開幕戦は序盤から一方的な展開を広げ、5回終了時点で11-0とコールドは間違いない状況となりました。
先発の松江投手は5回を投げ無失点、山科投手はその後を継ぎ、6回から登板しました。
移籍後初登板が古巣・宮崎Sとなった山科投手。
先頭の藤川選手は昨年ともに苦しい時期を過ごした仲間でした。
その藤川選手を3-1からセンターフライに打ち取ると、続く4番・豊浦選手に対してもカウントを悪くしつつショートゴロで2死。
代打・川越選手は先ほどまでの反省を生かしてか2球で追い込むと、4球目に投じた決め球のスライダーで空振り三振。
移籍後初登板で快心の投球を披露しました。
宮崎でのリベンジに燃える山科投手。
火の国との対戦も注目です。
おまけ
兵庫B時代の山科颯太郎投手
差し入れのアクエリを両手に持った宮崎S時代の山科颯太郎投手(画像左)
松江投手の完全試合のピッチングをお尻を突き出して観戦する山科颯太郎投手
謝辞
今回、山科投手の紹介noteを作成するにあたって、KANNA様、ryo様、とよさんに画像の使用許可をいただきました。
KANNA様は以前のnoteでもご快諾くださり、真夏の藤崎台ではサク来の延命を行ってくださりました。
ryo様は藤崎台だけでなく、KAL全域における応援活動への深いご理解とご協力を下さっております。
とよさんにはいつも手厚いフォローを下さるなど、何から何までお世話になっており、感謝の言葉しかありません。
また、ナーグリスさんも長らく活動にご協力くださっております。
球団公式が投稿している山科投手にスポットが当たった写真が少なく、とても困っていたところに救いの手を差し伸べてくださり、ありがとうございました。
この場を借りて御礼を申し上げます。
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