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苦悩の左腕・石森大誠 -ヒーローは遅れてやってくる-
2021年、熊本県に本拠地を置く火の国サラマンダーズというチームには、絶対的守護神が存在した。
申し分ない成績と確かなポテンシャルを残した彼は、その年のドラフトにて中日から3位指名を受け、NPBへと旅立った。
彼の名は石森大誠。
その勢いのまま活躍できると熊本のファンは誰もが確信していたが、彼は今日までファームでもがき苦しんでいる。
断っておくと、僕は中日ファンではない。
この火の国サラマンダーズに、一人のファンとして関わっている人間だ。
”サラマンダーズ”はNGワード
よくTwitterにて「サラマンダーズ」とエゴサをする。
そのほとんどが試合結果かサラマンダーズファン、独立リーグマニアの呟きによるものだが、時折中日ファンと思われる方々の呟きも散見される。
調べ進めると、彼らにとって「サラマンダーズ」はNGワードとなっており、実際これらの呟きが見られるのも石森選手が乱調を起こした際に、主に彼への蔑称として用いているのがほとんどだった。
残念ながら中日に入団して以降、彼に関するいい話は全く耳にしない。
上半身のコンディション不良で戦線を離れ、戻ってくると制球力が鈍り、さらに最大の魅力だった急速も140㌔台まで落ち、ファームで四球を連発して自滅するピッチャーとなっていた。
今年4月、Twitterにて石森選手のピッチング動画が流れてきた。
そこには押し出し四球で意気消沈する彼の姿があった。
他の団員に共有すると、皆がこの事実を受け入れきれられず驚きと、少しの哀しみを覚えている様子だった。
火の国のスーパーヒーロー
2021年の火の国サラマンダーズは開催初年度となった九州アジアリーグにて、圧倒的成績を叩き出した。
その中で石森選手は早くからドラフト候補として注目され、多くのファンが彼の登板を待ち侘びていた。
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150㌔台を計測する度に、スタジアムは驚きの声に包まれ、奪三振を挙げる度に割れんばかりの拍手が地鳴りのように鳴り響く。
「頑張れ 頑張れ 石森」とエールを送れば、それに対する呼応は凄まじかった。
地元メディアは日々彼に関する特集やインタビューを組み、サラマンダーズファンに限らず野球ファンが一目見ようと球場に詰めかけた。
球場にいる者たちは皆彼に少なからず関心を持っていた。
手作りの応援ボードは一塁側ブルペンに向けて掲げられ、熱心なファンは刺繍専門店に依頼してオリジナルユニフォームを作成していたらしい。
2021年のサラマンダーズは間違いなく彼が中心にいた。
それほど背番号47は逞しかった。
中日に入団し、それが26に変わっただけだと思ったら、色々と様変わりしていった。
石森大誠から感じた覇気
グラウンドとスタンドを仕切るフェンスの向こうには、ブルペンで待機するリリーフたちがいた。
その中で石森選手は特に行動量が多い。
ブルペン備え付けのパイプ椅子から立ち上がり、キャッチャーと会話したかと思えば、守備から帰ってくる選手を出迎えて、あるいはベンチ裏に消えてと、常にアクションを起こしていた。
当時リーグには、ファールボールは近くの係員に返却するルールがあった。
ある日一塁側側に飛んできた。
返却しようとしても係員が見当たらなかったため、直接近くの選手へとフェンス越しに返却することにした。
8回の守備の頃だったと記憶しているが、その時すでに石森選手はブルペンに入っていた。
気配だけでどれほど集中しているのかが分かる。
僕は邪魔だけはしないようにとフェンスの下を潜り抜けるようにボールを通すことで、さりげなくグラウンドに戻そうとした。
しかしフェンスの隙間は小さく、そもそも入りそうにない。
勝手に一人で解決策を考えていると、こちら側に石森選手が近づいてきた。
上から投げ入れるよう促され、そのままパスすると、彼は一言感謝を述べ再びブルペンへと戻った。
この間、1分足らず。
このわずかな時間は今現在で唯一、僕と石森選手とが関わった時間である。
その時の彼はいつもの柔らかくクールな面持ちだったが、ブルペンに戻る時は既に鋭い面持ちへと戻っていた。
6月20-21日に行われた日本海リーグ選抜との2連戦、石森選手は両試合に登板した。
初日は2イニングを投げ、出塁を許さず3奪三振、2日目は四球を許すも崩れることなく後続をしっかり抑えた。
球速も150㌔台を複数回記録し、復活の予兆を見せてくれた。
恐る恐るエゴサをかけてみると、複数の中日ファンによるタイムラインもポジティブな呟きが見られ、僕もほっとした。
どうやら苦悩の左腕・石森大誠は、少しずつ調子を取り戻している様だ。
”ヒーローは遅れてやってくる”というが、かつて火の国の守護神と呼ばれた男が名古屋で躍動する日は近いだろう。